ダビデの日記

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「聖書協会共同訳」で良いと思った訳語        「贖いの座」ローマ3:25


 今回は、聖書協会共同訳の翻訳が良いと思った箇所について書きます。
 
 それは、ローマ3:25の「贖いの座」という訳語です。
 
 
聖書協会共同訳
神は、イエスを立てて、その真実によって、その血による贖いの座となさいました。それは、これまでに犯されてきた罪を見逃して、ご自身の義を示すためでした。
 
新共同訳
神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。
 
新改訳
神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。
 
新改訳2017
神はこの方を、信仰によって受けるべき、血による宥めのささげ物として公に示されました。ご自分の義を明らかにされるためです。神は忍耐をもって、これまで犯されてきた罪を見逃してこられたのです。
 
 
 ご覧のとおり、従来の聖書では「罪を償う供え物」「なだめの供え物」「宥めのささげ物」と訳されています。
 
 しかし、このように訳されているヒラステーリオンというギリシャ語は、旧約聖書の「贖いのふた」を指しています。
 
 なぜわかるかというと、旧約聖書ギリシャ語版である七十人訳で「贖いのふた」に相当するのがヒラステーリオンだからです。
 
 
出エジプト記25:1722・新改訳
17 また、純金の『贖いのふた』を作る。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半。
18 槌で打って作った二つの金のケルビムを『贖いのふた』の両端に作る。
19 一つのケルブは一方の端に、他のケルブは他方の端に作る。ケルビムを『贖いのふた』の一部としてそれの両端に作らなければならない。
20 ケルビムは翼を上のほうに伸べ広げ、その翼で『贖いのふた』をおおうようにする。互いに向かい合って、ケルビムの顔が『贖いのふた』に向かうようにしなければならない。
21 その『贖いのふた』を箱の上に載せる。箱の中には、わたしが与えるさとしを納めなければならない。
22 わたしはそこであなたと会見し、その『贖いのふた』の上から、すなわちあかしの箱の上の二つのケルビムの間から、イスラエル人について、あなたに命じることをことごとくあなたに語ろう。
 
 
 上記の箇所を下記の七十人訳で見ますと、『贖いのふた』に相当する箇所にλαστήριον」(ヒラステーリオン)または「λαστηρου」(ヒラステーリオウ)という単語が使われていることがわかります。


17καποισεις λαστριον ἐπθεμα χρυσου καθαροῦ, δο πχεων καὶ ἡμσους τμκος καπχεος καὶ ἡμσους τπλτος.
18καποισεις δο χερουβιμ χρυστορευτκαὶ ἐπιθσεις ατὰ ἐξ μφοτρων τν κλιτν τολαστηρου·
19ποιηθσονται χερουβ ες κ τοκλτους τοτου καχερουβ ες κ τοκλτους τοδευτρου το ἱλαστηρου· καποισεις τος δο χερουβιμ πτδο κλτη.
20ἔσονται οχερουβιμ κτενοντες τς πτρυγας πνωθεν, συσκιζοντες τας πτρυξιν ατν πτοῦ ἱλαστηρου, κατπρσωπα ατν ες λληλα· ες τ ἱλαστριον ἔσονται τπρσωπα τν χερουβιμ.
21καὶ ἐπιθσεις τλαστριον ἐπτν κιβωτν νωθεν· καες τν κιβωτν μβαλες τμαρτρια, ἃ ἂν δσοι.
22καγνωσθσομασοι κεθεν καλαλσω σοι νωθεν το ἱλαστηρου ἀνμσον τν δο χερουβιμ τν ντων πτς κιβωτοτομαρτυρου κακατπντα, ὅσα ν ντελωμασοι πρς τος υος Ισραηλ.
 
                         出典:アカデミック・バイブル・ドットコム
 
 
 このヒラステーリオンは、へブル9:5では「贖罪蓋」(=贖いのふた)と訳されています。
 
 ですからローマ3:25でも、「贖いのふた」「贖いの座」「贖罪蓋」などと訳すべきなのです。
 
 これについては、織田昭先生が「新約聖書ギリシア語小辞典」(P269~P270)で解説しておられますので、以下にそれを抜粋します。
 
 
λαστήριον
①(七十人訳に親しんだ人が読んで最も自然な意味として)贖いの座、贖いのふた、贖罪蓋、贖罪所;幕屋の至聖所にあった契約の箱の上においた金の板.ケルビム二体が翼を広げてこれを覆っていたため、「贖いのふた」と名づけられ、贖罪の日にはその上にあがないの血が注がれて、罪の贖いとされた.出25:18、レビ16:2、ヘブ9:5、ロマ3:25.
 
(中略)
 
新改訳を除く邦訳は大体ロマ325を…「贖いの供え物」と訳し、ヘブ95とは区別しているが、著者自身はルター訳や新改訳と同じように①の「贖罪蓋」の意味に受け止めるのが一番自然であると考えるし、キリストを(幕屋の贖罪蓋に相当するものとして)神みずからそこへ「お据えになった」(プロエセトー)という動詞の意味も生きてくると思う。

                                 (抜粋おわり)
 

 こういうわけで、聖書協会共同訳の「贖いの座」という訳語は、「贖いのふた」や「贖罪蓋」を指すので正しいと思います。
 
 おわり