2018-01-01から1ヶ月間の記事一覧
エデンの園と天国の共通点を調べてみました。 暇のある方は、読んでみてください。 ●エデンの園=天国 過去記事に、「ユダヤ教における天国と地獄その2」というものがあります。 これを読むとわかりますが、第二神殿崩壊後のユダヤ教では、天国を描写する…
聖書によると、すべての人間は罪を犯しました。 しかしイエス・キリストは、罪を持たずに生まれてきたと言われています。 100%人間であったにもかかわらず、なぜそれが可能だったのでしょうか? カトリック教会の場合、マリアの「無原罪の御宿り」(以下)…
1テサロニケ4:17の「主と会う」に関するワードスタディーです。 みなさんの聖書研究の参考になれば幸いです。 1テサロニケ4:16~17 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにあ…
福音書を書いたマタイは、その中で非常に多くの旧約聖書箇所を引用しています。 その中の12回に、「成就するためであった」「成就した」(ギ:プレロオー)という表現が見られます(参考サイト)。 そのようにしてマタイは、イエス・キリストが旧約聖書を成…
携挙のタイミング・シリーズです。 前回は、「主の日」と携挙のタイミングという記事を書きました。 この記事では、信者の復活を起点にして携挙のタイミングを確認します。 ●信者の復活と携挙 1テサロニケ4:16~17 16 主は、号令と、御使いのかしらの声と…
ルカの福音書の学びからです。 ルカ1:1-2・新共同訳 わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。 上の箇所で「実現した」*…
「Dr.Lukeのワンショット@vimeo:キリストはすべてをオーバーライトした」という動画を見ました。 過去記事で取り上げたとおり、Dr.ルークは信仰義認を否定しています。 しかし驚いたことに、この動画では「刑罰代償説」を否定しているのです。 問題の動画…
その2では、エデンの園を意味するガン・エデンという言葉がタルムードで使われていることを述べました。 ガン・エデンは、人の魂が永遠に住まう場所と考えられています。 そして、あるラビが死後に体験したガン・エデンの様子は、ルカ16:19の金持ちとラザ…
その1では、捕囚や神殿の崩壊によってユダヤ教の来世思想に変化が現れはじめ、 ローマ帝国の侵略によって、ヘレニズム的思想との融合がはじまったところまで述べました。 前回の最後の部分からつづけます。 これにより、新たな神学的見解が生まれることと…
ユダヤ教のラビによる、ユダヤ教における死後の世界観の変遷を扱った記事を読みました。 新約聖書の天国・地獄観につながるものとして、興味深いのではないかと思います。 何回かに分けて抄訳しようと思います。 ソース:Heaven and Hell in Jewish Traditi…
この記事は、教父たちの終末観を示す一つの資料としてまとめたものです。 タイトルでは「携挙観」としましたが、当時は「携挙」という用語はありませんでした。 ですから、厳密にいうと再臨観ということになります。 参考サイト:The Early Church Fathers o…
皆さんは間隙説(断絶説)という学説をご存知でしょうか? ごく簡単に説明すると、創世記1:1と1:2の間に長期的な時間的ギャップが存在するという学説です。 人によっては、その長期的な期間に、いわゆる進化が起きたと考えます。 間隙説とその詳細は、安…
前回の記事の第一の目的は、あくまでも情報の提供でした。 そのために、ボックの釈義論を中心に記事を書きました。 しかし今回は、聖書に照らして具体的に問題点を指摘したいと思います。 *** ある日本人神学者の方は、ブログの中で次のように論じておら…
ある日本人神学者が、使徒たちは聖書をどう読んだか(4)というブログ記事で、聖書釈義について論じています。 その神学者の方は、従来、福音派がとってきた「歴史的文法的解釈」に対する疑問を呈しています。 その一方で、米国福音主義神学界の異端児ピー…
マタイ10:23は、歴史的に様々な解釈がされています。 「人の子が来るとき」という表現は、いったい何を意味するのでしょうか? 再臨と理解してしまうと、「イスラエルの町々を巡り尽くせない」と辻褄が合いません。 いろいろなサイトを調べてみて、最も説…
前回の記事と同じ牧師さんがこのようなことを言っていますが、これはどうなのでしょうか? そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である…
ある牧師さんが、ブログで次のように述べています。 ガラテア2章16節における日本語訳について一言。 余りにひどいので正確に見ておきたい聖句の一つだ。 律法の働きは人を義とはしない イエスキリストの信仰が人を義とする イエスキリストにあって それ…
ある日本人神学者が、クリスチャンの死後の状態について次のように述べています。 実を言えば、「人は死ぬと魂は肉体を離れて天国に行く」という考えは、まったく非聖書的というわけでもありません。人が死んでから、世の終わりに肉体が復活するまでの間、…
イエスさまがマタイの福音書で語っている「義」とは、どのようなものでしょうか? パウロが教えている義と同じでしょうか、違うのでしょうか? この記事では、以下の参考文献のP80~P90に基づいて、マタイにおける「義」の意味を解説します。 Righteousness…
聖書は間違いなく、神の言葉です。 過去記事の前編・後編でも述べたとおり、私はこの点を否定するつもりは毛頭ありません。 しかし、このあと引用する神学的説明には違和感を感じます。 日本でも屈指の神学者である宇田進先生は、「実用聖書注解」(いのち…
この記事では、「主の日」との関連に基づいて携挙のタイミングを探ります。 1テサロニケ(4:15~18口語訳+5:1~2新共同訳) 15 わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決し…
年末に、ヨハネ16:13を巡って「ダビデの日記」を批判していたブログが、そのテーマに関する新しい投稿をしました。 その投稿では、「良いディスカッション」という記事で私が犯した不注意なミスが指摘されています。 そのミスの反省の意味を込めて、この箇…
ある日本人神学者は、善きサマリア人の箇所は、行いによる救いを説いていると主張します。 しかし前回の投稿で述べたとおり、十二使徒は行いによる救いを否定しています(使徒15章)。 そのような十二使徒の理解は、真理の御霊が彼らを「すべての真理」に導…
昨今、日本の福音派内でも、信仰義認に対する再解釈が物議を醸しています。 ある新約聖書学者は、信仰義認に対してあからさまに異論を唱えています。 以下は、その方のブログからの引用です(リンクの誤り修正済み)。 たとえば福音書において「信仰と救い…
マルコやルカの福音書は、情報源となった目撃証言者が誰であるかを明示しています。 福音書の筆者らが、インクルーシオと呼ばれる技法によってそれを示しているからです。 このインクルーシオを知ることにより、福音書が確かな証言に基づいた真実な内容であ…