初期教父たちの携挙観
この記事は、教父たちの終末観を示す一つの資料としてまとめたものです。
タイトルでは「携挙観」としましたが、当時は「携挙」という用語はありませんでした。
ですから、厳密にいうと再臨観ということになります。
●十二使徒遺訓(ディダケー)9:4
この裂かれしパンは、山々の上に散り散りになっていましたが、再び元に集められ、一つになりました(ヨハネ11:52)。
ですから、それと同様に、あなたの教会を地の果ての至る所から引き寄せ、あなたの御国へと導いてください
クラスマは「裂かれた破片」を意味しており、邦語訳聖書では「パン切れ」「パンくず」と訳されています。
重要なのは後半で、表現がマルコ13:27やマタイ24:31に酷似していることがわかります。
それらの箇所の前には、反キリストの台頭が警告されています。
しかしディダケーの著者は、「選びの民」(エレクトス)を「教会」(エクレシア)と言い換えています。
このことから、ディダケーの著者が教会が大患難期に地上に存在していると考えていたことがわかります。
ディダケーの著者は患難後携挙説をとっていたのです。
●十二使徒遺訓(ディダケー)10:5
そしてその聖さのうちに教会を四方の風より(マタイ24:31)、あなたの備えられた御国のうちに集めてくださらんことを。
「四方の風」という訳語は原文を詳訳したもので、直訳すると「四つの風」となります。
マタイ24:31
人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。
「あなたの備えられた御国のうちに」という訳語には、訳者の方の意訳が含まれてるように思います。
直訳は「汝の御国の中へ」となります。
重要なのはやはり後半で、「選びの民」が「教会」と言い換えられています。
このことから、ディダケーの著者が患難後携挙説をとっていたことがわかります。
●ユスティノス
「背教の人」というのは、反キリストを指しています。
このことから、ユスティノスは、教会が反キリストの台頭後にも地上に存在すると考えていたことがわかります。
次に紹介するヒュポリュトスとアウグスティヌスも、ユスティノスと同じ考えを示しています。
●ヒッポリュトス
ヒッポリュトス(170年~236年)
さて、迫害の患難についてだが、これは教会が敵から被るもので、ヨハネも次のように話している。「また、巨大なしるしが天に現われた。…」これは1260日(半週)のことであり、その間に専制君主が教会を支配し、迫害することになっている。
『キリストと反キリストに関する論文、60~61章』
ヒュポリュトスは、黙示録12章を「1260日のこと」、つまり大患難期と捉えており、
その期間、教会が地上において迫害を受けると考えていたことがわかります。
やはりヒュポリュトスも、患難後携挙説をとっていたということです。
アウグスティヌス(354年~430年)
しかしこの箇所(ダニエル12章)を読む者は、たとい寝ぼけ眼で読んだとしても、短期間ではあるが、反キリストの王国が炎のごとく教会に襲い掛かることを見逃すことはない。その後、神の最後の審判が行われ、それから聖徒たちの永遠の支配がもたらされる。『神の国』23章
アウグスティヌスも同様です。
ダニエル12章は、黙示録12章と同じ大患難期についての預言です。
反キリストが支配するこの時期に、教会が激しい迫害に遭うという考えを示しています。
このことからアウグスティヌスも、患難後携挙説をとっていたことがわかります。
●あとがき
教父たちと同じ考えを、パウロも2テサロニケ1:6~7で示しています。
2テサロニケ1:6~7
つまり、あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現われるときに起こります。
この箇所でパウロは、次のような対比をしています。
「あなたがたを苦しめる者」=不信者=「苦しみ」
どちらの報いも再臨の時に受ける
「あなたがた+私たち」=教会+使徒=「安息」
このようにパウロの考えは、教会が再臨まで地上に存在しているというものです。
教父はたちは、この教えを正確に理解していたのです。
聖書も教父文書も、患難後携挙説を示しています。
患難前携挙説をとっている方には、ぜひ考え直していただきたいと思います。
終わり