ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

2017-11-01から1ヶ月間の記事一覧

患難前携挙説の「切迫性」の誤り その2

「切迫性」に関する過去記事でも述べたとおり、患難前携挙説の言う「切迫性」には問題があります。 この記事では、前回とは少し違う視点でその問題点を指摘します。 ●2000年は「すぐに」ではない 黙示録22:7、12、20 「見よ。わたしはすぐに来る。この書の預…

日本のキリスト教会に見る聖書預言の成就

聖書預言の的確さに、改めて驚かされました。 しかも、新しいことではないにしろ、海外ではなく日本のキリスト教会にそれが現れていることが印象的です。 以下に「キリスト教なのにゲイってOKなの?ゲイの牧師さんに聞いてみた」から引用し、 聖書の指摘の…

アンケート結果発表

最終的に13人の方が投票してくださいました。ありがとうございました。 クリスチャンの方が合計で7人 牧師・教会スタッフが合計で5人 信者ではない方が1人 今回の結果だけでは判断しきれませんが、思う以上に牧師さんやスタッフの比率が高いことがわかりま…

読者アンケート:本日、最終日です!

これまでに10人の方が答えてくださいました。 お忙しいところ、ありがとうございます。 本日いっぱい投票できるはずですので、まだの方はぜひお願いしますm(_ _)m 「過去の記事一覧」のすぐ上にある「投票」というところを開いて、 5つあるポッチのどれ…

途中経過 その2

読者アンケートに6人の方が答えてくださいました。 ありがとうございますm(_ _)m 意外なことに、教会スタッフの方が、結構このブログに来てくださっているようです。 アンケートは今週一杯やっています。 答え方は簡単。 「過去の記事一覧」の少し上にある…

途中経過

読者アンケートに3人の方が答えてくださいました。 お答えくださった方、ありがとうございますm(_ _)m 答え方は簡単です。 「過去の記事一覧」の少し上にある「投票」というところを開いて、 ポッチをクリックするだけ。 更なる投票をお待ちしております。 …

お知らせ:読者アンケート実施中

読者アンケート実施中です。 期間は11月25日まで。 よろしければ、このブログの下方までスクロールしていただき、 「過去の記事一覧」の少し上にある「投票」というところを開き、 5つの選択肢から選んでくださいm(_ _)m ブログ主

患難前携挙説の「携挙の切迫性」は聖書的か?

患難前携挙説は、しばしば携挙の切迫性を強調します。 例えば、先頃のクリスチャン・トゥデイの記事で、中川健一先生が切迫性を強調しています。 以下にその部分を引用します。 中川氏自身は患難期前携挙説の立場だが、他の説についても時間をかけて説明し…

使徒信条:イエスは本当に陰府にくだったのか?

使徒信条は、多くの教会で唱えられていると思います。 それは、使徒信条が少なくとも表面上は、受け入れられていることを示しています。 しかし個人的には、「陰府にくだり」という部分が以前から気になっています。 この部分が、聖書の記述とぶつかるから…

心のきよい者は幸いです

マタイ5:8 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。 「きよい」と訳されているのは、カサロスという言葉です。 ギリシャ語辞典の説明では、「罪の影響による穢れを受けていない」状態とあります。 「見る」はホラオーという言葉で、「見る、体…

あわれみ深い者は幸い

マタイ5:7 あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。 「幸い」というのはマカリオスという言葉で、辞典の説明によると、 「神の好意を受けることができて、羨ましがられるような立場にあること」を意味します。 また、「あわれみを受け…

現代ギリシャ語新約聖書から証明されるNTライトの誤り

この記事は、NTライトの主張に対する粗探しのようなものかもしれません。 しかし、彼の言うことを盲目的に信じるよりは、ここに書かれたことを思いに留めておくほうが良いと思います。 ●ピスティス・イエソウ・クリストウに関する理解 私の手元にライトが…

救われるには行いが必要か? その2

前回は、福音書や使徒の働き、パウロ書簡を取り上げて、それらの箇所が信仰による義認(救い)を教えていることを示しました。 しかし信仰義認を語るとき、必ずと言っていいほど問題になるのがヤコブの手紙です。 一見すると、矛盾したことを書いているよう…

救われるには行いが必要か? その1

信仰義認と関連性のあるテーマについて、短編の記事を書きます。 先ごろクリスチャン・トゥデイに「救われるには信仰と善行の両方が必要」米プロテスタントの半数が同意という記事が出ました。 この記事で言われていることは、裏を返せば、信仰だけでは救わ…

「信仰義認の再解釈」に関する疑問 その10

この記事は、クリスチャン・トゥデイ掲載のコラム「福音の回復(45)誰が救われるの?―信仰による義認、予定説」(前編と後編)に関するものです。 その9では、引用した箇所に含まれる「信じる」という言葉を、三谷氏が意図的に「応答」と歪めてしまい、…

「信仰義認の再解釈」に関する疑問 その9

この記事は、クリスチャン・トゥデイ掲載のコラム「福音の回復(45)誰が救われるの?―信仰による義認、予定説」(前編と後編)に関するものです。 その8では、三谷氏による予定説再解釈の結論が、明らかに聖書と食い違っていることを証明しました。 こ…

「信仰義認の再解釈」に関する疑問 その8

この記事は、クリスチャン・トゥデイ掲載のコラム「福音の回復(45)誰が救われるの?―信仰による義認、予定説」(前編と後編)に関するものです。 その7では、三谷氏が、キリストの救いと直接関連のない聖書箇所を歪曲して、持論の正当化に利用している…

「信仰義認の再解釈」に関する疑問 その7

この記事は、クリスチャン・トゥデイ掲載のコラム「福音の回復(45)誰が救われるの?―信仰による義認、予定説」(前編と後編)に関するものです。 その6では、三谷氏より引用されている聖書箇所の解釈が間違っていることを示しました。 今回取り上げる…

「信仰義認の再解釈」に関する疑問 その6

この記事は、クリスチャン・トゥデイ掲載のコラム「福音の回復(45)誰が救われるの?―信仰による義認、予定説」(前編と後編)に関するものです。 その5では、「神の選び計画」に関する三谷氏による曲解を検証しました。 この記事でも、三谷氏の聖書解釈…

「信仰義認の再解釈」に関する疑問 その5

この記事は、クリスチャン・トゥデイ掲載のコラム「福音の回復(45)誰が救われるの?―信仰による義認、予定説」(前編と後編)に関するものです。 その4では、聖書に書かれている「選び」という表現は「誤解」であり「隠喩」だとする三谷氏の主張が、 …

「キリストを信じる信仰」か「キリストの忠実さ」か?  その3

その2では、複数の根拠を更に挙げて、「キリストを信じる信仰」という解釈が正しいことを述べました。 この記事でも、さらに根拠を挙げて「キリストを信じる信仰」という解釈が妥当であることを説明します。 その前に、前回、最後に説明したピリピの箇所は…

「キリストを信じる信仰」か「キリストの忠実さ」か?  その2

その1では、パウロがピステオス+クリストウというギリシャ語表現を使う場合、 「キリストの忠実さ」ではなく、信者の信仰という意味で使っていることを述べました。 そのことを示す聖書箇所も多数挙げました。 この記事では、ピステオス+クリストウを、「…

「キリストを信じる信仰」か「キリストの忠実さ」か?  その1

米国の福音派でしばらく前から物議を醸しているテーマの一つに、パウロ書簡に見られるfaith/faithfulness in Christというフレーズの翻訳/解釈の問題があります。 このフレーズは、ローマ3章とガラテヤ2章を中心にして、パウロの書簡の数カ所で使われて…

「信仰による義認の再解釈」に関する疑問 その4

この記事は、クリスチャン・トゥデイ掲載のコラム「福音の回復(45)誰が救われるの?―信仰による義認、予定説」(前編と後編)に関するものです。 その3では、救いは「意識できない」ものだとする三谷氏の見解に、あからさまな誤りがあることを証明しま…