ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

心のきよい者は幸いです

 
マタイ5:8
心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。
 
 
「きよい」と訳されているのは、カサロスという言葉です。
 
 ギリシャ語辞典の説明では、「罪の影響による穢れを受けていない」状態とあります。
 
 
「見る」はホラオーという言葉で、「見る、体験する、知覚する」を意味します。
 
 また、心で見ることを意味する比喩表現として使われることが多い、と説明されています。
 
 十字架の血潮で罪が清められているなら、心で神を見たり、神を体験するようになるということですね。
 
 しかし、ホラオーは未来形で書かれているので、
 
 罪が清められた人は、将来的に顔と顔を合わせて神を見ることになる、と取ることもできます(1コリント13:12)。

 ちなみに、現代ギリシャ語の新約聖書は、カサロスに「清い」と「穢れのない」という2つの訳語をつけており、
 
 後半部分には「栄光の中の」という修飾句を加えて、次のように訳しています。
 
 
清く穢れのない心を持つ者たちは幸いだ。なぜならその者たちは、栄光の中におられる神を、将来的に見るからである。
 
 
 おわり