2018-11-01から1ヶ月間の記事一覧
ルカの福音書1章38節を読んで思ったことを書こうと思います。 ルカ1:38(NKJV) Then Mary said, “Behold the maidservant of the Lord! Let it be to me according to your word.” And the angel departed from her. 今朝は、この箇所を新欽定訳で読みまし…
「救いは信仰と行いによる? ヤコブ2章後半」という過去記事のコメントで、マタイ7:21が行いによる救いを教えているのではないかというご質問をいただきました。 すでにコメントもでもお答えしたのですが、記事として加筆したいと思います。 ●原文からわ…
患難前携挙説の信奉者が患難期を7年間とする根拠の一つは、聖書時代のユダヤの婚姻(結婚式)の慣習にあります。 この記事では、ユダヤ式婚姻説が7年間の患難期の根拠になるか否かを検証したいと思います。 ●小羊の婚姻 患難前携挙説の信奉者の方々が携挙…
カトリックや正教会は、外典の「トビト書」を聖書として信じています。 この書物には、少なくとも2種類の教理的問題があります。 ①施し(募金)で死を回避できる ②魔術的な手段で悪霊追出しや目の癒しができる 以下にこれらを教える箇所を挙げます。 ●死の…
聖書の原文に隠喩による表現が使われている場合、それを直訳しても意味が伝わらない場合がしばしばあるはずです。 その原文の筆者が聖霊の導きでその隠喩を使ったとすれば、聖書を翻訳する場合、その隠喩をどう扱うべきなのでしょう。 別の言語に訳した場合…
この記事では、外典の一つでカトリックと正教会が聖書に含めているシラ書の問題点を取り上げます。 シラ書3:3~4 父を尊べば、お前の罪は償われ、同じく母を敬えば、富を蓄える。 シラ書3:30 水が燃え盛る火を消すように、施しの業は罪を償う。 (共に新…
ヤコブ2:24 人は行ないによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。 ヤコブ書2章の後半は、プロテスタントが標榜する「信仰のみによる救い」と矛盾すると言われる箇所として有名です。 特に冒頭に挙げた箇所には「…
幾つかのクリスチャン・サイトを見てみますと、ヨハネ17章の大祭司の祈りの意味が誤解されていることに気づかされます。 一部の方々は、大祭司の祈りが叶えられておらず、地上の教会が分裂しているために人々がキリストを信じないと主張しておられます。 …
渡辺明日香さんがブログに掲載している「携挙に備えよ!」を読んでみました。 そのとき感じた素朴な疑問について書こうと思います。 ●部分携挙説 「携挙に備えよ!」には、次のように書かれています。 それゆえ、主がもし、今、来られたら、わずかの人々が…
一部の方々は、マタイ25:31~46の「羊と山羊の譬え」が「行いによる救い」を説いていると考えます。 この記事では、この箇所が何を教えているかを検証したいと思います。 ●文脈と釈義 この箇所の正しい理解の鍵は、34節にあると思います。 マタイ25:34 そう…