ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

2017-10-01から1ヶ月間の記事一覧

「信仰による義認の再解釈」に関する疑問 その3

この記事は、クリスチャン・トゥデイ掲載のコラム「福音の回復(45)誰が救われるの?―信仰による義認、予定説」(前編と後編)に関するものです。 その2では、三谷氏が主張する救いのメカニズムに関する誤りを、幾つか指摘しました。 三谷氏は、持論に…

「信仰による義認の再解釈」に関する疑問 その2

この記事は、クリスチャン・トゥデイ掲載のコラム「福音の回復(45)誰が救われるの?―信仰による義認、予定説」(前編と後編)に関するものです。 その1では、福音主義の歴史的救済論が、乳幼児や障がい者の救いを否定しているという三谷氏の見解を検証…

「信仰による義認の再解釈」に関する疑問 その1

この記事は、クリスチャン・トゥデイ掲載のコラム「福音の回復(45)誰が救われるの?―信仰による義認、予定説」(前編と後編)に関するものです。 このコラムでは「信仰による義認の再解釈」という大胆な試みがなされているため、このコラムの内容の妥当…

パウロが真に云わんとしたこと その7(NPP検証論考)

その6でガザーコール博士は、義と信仰について解説しました。 義とは、「律法のすべての命令を全うした者として神の前で認められる」ことであり、 信仰は、神の「語り掛けに対する応答として主に信頼する」ことです。 この記事では、「律法の行い」につい…

パウロが真に云わんとしたこと その6(NPP検証論考)

その5の後半から、ガザーコール博士は、聖書本文に基づいて義認について語りはじめました。 1世紀のユダヤ人の律法理解には、様々なバリエーションがありましたが、NPPの義認論は、その中の一部に基づいたものに過ぎません。 それゆえNPPは、パウロが言う…

パウロが真に云わんとしたこと その5(NPP検証論考)

その4では、ガザーコール博士が古代ユダヤ教の資料を提示して、1世紀のユダヤ人が行いによる救いを信じていたことを示し、NPPの欠陥を指摘しました。 資料には、「義を行う者は…自分のためにいのちを蓄える」「自分の行いによって救われた者たち」といった…

パウロが真に云わんとしたこと その4(NPP検証論考)

その3から、ガザーコール博士によるNPPの検証がはじまりました。 第二神殿時代のユダヤ人の律法理解には、大きな意味があること、それゆえ私たちは、ユダヤ教を偏見視してはならないこと、などが語られました。 しかしこの記事では、ついにガザーコール博…

パウロが真に云わんとしたこと その3(NPP検証論考)

ガラテヤ2:14~16 しかし、彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て、私はみなの面前でケパにこう言いました。「あなたは、自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず、異邦人のように生活していたのに、どうして異邦人に対し…

パウロが真に云わんとしたこと その2(NPP検証論考)

NPPの礎を築いた学者の一人に、EPサンダース(E. P. Sanders)がいます。 サンダースは第二神殿期のユダヤ教を研究した結果として、「契約に基づく律法遵守説1/covenantal nomism」を提唱します。 「契約に基づく律法遵守説」とは、1世紀のユダヤ人は律法…

パウロが真に云わんとしたこと その1(NPP検証論考)

NTライトの著書「Justification - God's Plan & Paul's Vision」を読んでわかったのですが、 ライトが「義」という概念を「契約加入権/covenant membership」と解釈するようになった背景には、第二神殿期のユダヤ教の理解があります。 ライトは、第二神殿期…