「信仰による義認の再解釈」に関する疑問 その3
三谷氏は、持論に基づいて救いのメカニズムを余りにも一般化しすぎる傾向があるので、この記事ではその点を更に指摘しようと思います。
三谷氏は【救われるまでの道のり】の欄で上図を示し、救いに関する持論を展開しています。
しかし、ここに示されていることはあくまで三谷氏の思い込みにすぎず、聖書にはこのようなことは一切書かれていません。
ブログ主の救いの場合、三谷氏が「意識できない」としている≪救いは「霊的」な領域≫の部分において、実際はかなり意識できた部分がありました。
私はキャンパス・クルセードの宣教師に促されて、1983年6月5日(厳密には6月4日土曜日の真夜中)にイエス・キリストを受け入れることにしました。
そのとき私は、主イエスの存在と愛に満ちたまなざしを、はっきりと感じることができました。
宣教師の言葉を通して、主ご自身が私を招いていることがわかり、主の存在とまなざしをはっきりと感じていたゆえに、受け入れを拒むことができませんでした。
「拒んではいけない」という思いが、自分の中にはっきりとあったのです。
私は、傍らにいた宣教師に対してではなく、目に見えないものの自分の目の前にいる存在(主イエス)を意識して、
その方を受け入れる決断をしたことを、今でもはっきりと覚えています。
そういう私にとって、三谷氏の言う「意識できない」救いという見解にはとても違和感を覚えます。
これだけでは私の体験ですから説得力がありませんが、聖書箇所を引用して三谷氏の持論がそれと一致しないことを証明します。
●検証
ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。4 彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。5 彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。6 立ち上がって、町にはいりなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」
上記の箇所は、パウロの「救い」の場面です。
この直前まで、パウロ(サウロ)は救われておらず、ゆえに信者たちを迫害していました。
それどころか、その存在と言葉を交わしています。
三谷氏は、この段階を指して「意識できない」救いと呼んでいるのです。
実に甚だしい間違いです。
聖書の記述と三谷氏の持論、どちらが正しいかは言うまでもありません。
ここまで明確に聖書と食い違っているのでは、三谷氏の言う「信仰による義認の再解釈」そのものが、極めて怪しい試みなのではないかと疑わざるを得ません。