【ミニ投稿】平和は誰のもの?
今日は、たった一つの単語の表記の違いによって、
とても大きな意味の違いが出てしまうお話です。
(ただし日本語の聖書は、いい意味で無関係です。)
●底本の違い
欽定訳聖書でルカ2:14を見ると、次のようになっています。
Glory to God in the highest, and on earth peace, good will toward men.
いと高き所では、栄光が神にあるように。地上では平和と御心が、人にあるように。
近年に翻訳された英語の聖書は、日本語の聖書と同じ訳です。
ルカ2:14(新改訳)
いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。
他の聖書の底本では所有格で表記されています。
主格というのは、簡単に言うと、ユードキアが主語になっているということです。
所有格というのは、訳したときに「御心の」(人々にあるように)という訳語になることを意味しています。
欽定訳に従うと、平和と御心が人類全体にあるように、と天使たちが言っていることになり
近年の聖書に従うと、平和が、御心の人々(=クリスチャン)にあるように、と言っていることになります。
●平和は誰のものか?
近年の聖書の底本のほうが古い写本に基づいており、写本は古いほうが正確なので、
近年の聖書のほうが、欽定訳よりも正確だということになります。
では、神学的にはどうでしょうか。
平和は人類全体に与えられているのでしょうか
それとも御心にかなう人々であるクリスチャンのものでしょうか?
ローマ5;1
この御言葉からわかるとおり、神との平和はクリスチャンにしかありません。
恵みによってイエスを信じ、神と和解した人だけが、真の平和を体験できるのです。
これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。2コリント5:18
アーメン! 主の恵みを感謝します。
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