ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

【ミニ投稿】平和は誰のもの?


 
今日は、たった一つの単語の表記の違いによって、

とても大きな意味の違いが出てしまうお話です。

(ただし日本語の聖書は、いい意味で無関係です。)
 
 
●底本の違い
 
欽定訳聖書でルカ214を見ると、次のようになっています。
 
Glory to God in the highest, and on earth peace, good will toward men. 
いと高き所では、栄光が神にあるように地上では平和と御心が、人にあるように
 
 
近年に翻訳された英語の聖書は、日本語の聖書と同じ訳です。
 
ルカ2:14(新改訳)
いと高き所に、栄光が、神にあるように地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように
 

 この違いがどこから来るかというと、「御心」と訳されているユードキアの表記の違いによります。
 
 欽定訳の元になっているギリシャ語本文(底本)では、ユードキアが主格で表記されており、
 
 他の聖書の底本では所有格で表記されています
 

 主格というのは、簡単に言うと、ユードキアが主語になっているということです。
 
 所有格というのは、訳したときに御心の」(人々にあるように)という訳語になることを意味しています。
 
 
 欽定訳に従うと、平和と御心が人類全体にあるようにと天使たちが言っていることになり
 
 近年の聖書に従うと平和が、御心の人々(=クリスチャン)にあるようにと言っていることになります。
 
 
 
平和は誰のものか? 
 
 近年の聖書の底本のほうが古い写本に基づいており、写本は古いほうが正確なので、
 
 近年の聖書のほうが、欽定訳よりも正確だということになります。


  では、神学的にはどうでしょうか。
 
 平和は人類全体に与えられているのでしょうか
 
 それとも御心にかなう人々であるクリスチャンのものでしょうか?
 

ローマ51
ですから信仰によって義と認められた私たちは私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています
 
 
 この御言葉からわかるとおり、神との平和はクリスチャンにしかありません
 
 恵みによってイエスを信じ、神と和解した人だけが、真の平和を体験できるのです。
 
 
これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました2コリント518
 
 
 アーメン! 主の恵みを感謝します。
 
 
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