ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

使徒信条:イエスは本当に陰府にくだったのか?

 
 使徒信条は、多くの教会で唱えられていると思います。
 
 それは、使徒信条が少なくとも表面上は、受け入れられていることを示しています。
 
 しかし個人的には、「陰府にくだり」という部分が以前から気になっています。
 
 この部分が、聖書の記述とぶつかるからです。
 
 この点について調べてみたところ、米クリスチャニティー・トゥデイがこのテーマを記事にしていましたので、全訳を掲載します。
 
 
使徒信条
 
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、
死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人の内よりよみがえり、
天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこよりきたりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、
からだのよみがえり、とこしえの命を信ず。
アーメン
 
                  *** 

 「陰府にくだり」というフレーズは初めから使徒信条にあったのか、それとも、後代のつけ足しなのか? これまで教会は、このフレーズをどう解釈してきたのだろうか?
 

 イエスが地獄にくだったとされる部分は、教会の中で長い間、物議を醸している。
 
 使徒信条に見られるこのフレーズについては、長きにわたり活発な議論が交わされてきたが、十字架上での死後にイエスがとった行動については、未だ不確かなままである。
 
 教会が使徒信条を唱えはじめた目的は、信条の告知のためではなく、受洗の際の信仰告白としてであった。
 
 極めて儀式的であった古代の教会は、堅信の儀式をするに当たり、受洗候補者に三位一体に関して3つの質問をした。
 
 受洗に際して、教会の一員と認めるための「象徴」、あるいは「しるし」としての告白が、最終的に現在の使徒信条として定着することになったのである。
 
 しかし、当初は流動的で、初めから現行の表現をとっていたわけではない。
 
  現行の使徒信条は、元を質せばアンシラ(現トルコの首都アンカラ)の監督マーセラス(紀元337年頃)に由来するが、「陰府にくだり」という表現は含まれていなかった。
 
 これは学者の間では「旧ローマ信条」と呼ばれており、ローマ教会の最初の信条であった。

 問題のフレーズが東方で最初に現れたのは、359年の「シルミウムの第4信条」においてであるが、東方教会は、この信条はアリウス派に染まっているとして退けている。

 この信条は、「旧式信条/Dated Creed」とも呼ばれている。

「陰府にくだり」という表現が西方教会で最初に現れるのは、アクイレイアのルフィヌスの書物の中で、

 ルフィヌスはこのフレーズを、400年頃の自身の洗礼の信条に書き添えている。
 
 時が経つにつれ、ラテン教会(西方教会)もこのフレーズを使うようになり、750年の使徒信条には正式に受け入れた。
 
 教会は長年、「陰府にくだり」というフレーズの意味に関する問題を解決できずにいる。

 例えば、アウグスティヌスは、キリストが文字通り地獄にくだったと信じていた。
 
 しかし、アンテオキアの司教エボディウスは、自身が書いた書簡の中で1ペテロ319の意味が曖昧であることを繰り返し認めている。
 
 この箇所には、ノアの時代に従わなかった「獄に捕われている霊ども」に対して、イエスが宣教したと書かれている(口語訳)。
 
 もし「獄」というのが「地獄」であるのなら、なぜその人たちだけがそのような恵みに預かれたのだろうか、

 キリストは地獄での宣教によって誰かを救ったのだろうか、というのがアウグスティヌスの疑問である。 
 
 更には、イエスは正しい者たちだけを地獄から連れ出すことができたのではないだろうか、という疑問が湧いてくる。
 
 というのは、ルカ16章のラザロと金持ちの箇所に書かれているように、正しい者たちは、裁かれる者たちと既に隔てられていたからである。
 
 アウグスティヌスはこの問題を解決しようとしてはいないが、自身が混迷していることは露わにしていた。
 
 数世紀後、トマス・アクィナスが、アウグスティヌスの疑問を解決した。
 
 キリストは2つの場所、つまり地獄と煉獄にくだって行ったというのである。そこに行った目的も別々だっという。
 
 キリストは地獄では不信者を恥じ入らせたが、煉獄においては、罪人でも栄光に預かれるという希望を与え、正しい者たちには解放をもたらしたという。 
 
 しかし、全員がこの説明で納得したわけではない。
 
 マルティン・ルターは、キリストは地獄に行ったと考えたが、そのことに関して明確な説明は一切しなかった。
 
 ジョン・カルビンは、「陰府にくだり」という表現は象徴的なもので、ゲッセマネと十字架におけるキリストの苦しみを示すものだと説明した。
 
 論議は、その後もつづいた。19世紀のキリスト教史家フィリップ・シャフは、「陰府にくだり」という表現は、不運で紛らわしい訳語だと評した。
 
「キリストが地獄に行ったかどうかは定かではないが、キリスト自身の言葉によって、死と復活の間にパラダイスにいたことは明らかである。
 
 また、地獄(ゲヘナ)よりもハデスという言葉のほうが、ずっと理解しやすい。ハデスというのは、失われた者たちが閉じ込められる場所である。」
 
 説教者のケネス・コープランドが主張しているように、中には受け入れがたい解釈があることも明らかである。 
 
 コープランドによれば、罪人が贖われたのは十字架のゆえではなく、イエスが地獄に行ったことによるというのだ。
 
 このように、これまで見てきた解決案の大半には、キリスト信仰の本質との関連性がほとんどない。
 
 私たちにとって、このような混乱はつきものなのである。憶測や議論の原因になるばかりで、地上には決定的な解決案がまったくないことを認めざるを得ない。
 
 終わり


原題:Was the phrase "he descended into hell" always part of the Apostles' Creed, or was it introduced later? And how have Christians interpreted it over time?
引用元:Christianity Today, Posted: August 8, 2008


●追記

 私としては、「陰府にくだり」という表現が後付けだったことがわかっただけでも、収穫でした。

 聖書には、主が地獄やゲヘナに行ったとは、少なくとも明確には書かれていませんので。