ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

根本的に誤っているのは誰?


 前回の記事と同じ牧師さんがこのようなことを言っていますが、これはどうなのでしょうか?
 
そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」そこで、彼らは言った。「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。・・・」-ヨハネ6:28-30

今回のメッセではここの聖句の間違った理解がプロテスタントの根底にある事を指摘した。「律法を行うことによって救われるのではなく、イエスを信じることによって救われるのだ」という偽り!
 
はあ、これって信仰義認であって、ルターの本質的な教え、宗教改革の原点ではないかと、いわゆるキリスト教神学を学んだ人は異議を唱えたくなるだろう。はっきりという、そのスタンスは、この聖句の弟子たちとまったく同じマトリックスに絡まれているのだ。なぜか分からない人はかなりハマっている証拠1)
 
この聖句をよく読んでほしい。弟子たちは自分のわざに注意をおくが、ジーザスは神のわざを指摘する。信じることは神のわざであると! 先にも書いたが、ガラテヤ216節と20節(Gal 2:16;20)の意味の取り違え、というより誤訳がその根底にある。詳細は先の記事を読むか、メッセを聴いてほしい。かなり挑発的に語っているので、神学オツムのプライドにはかなり刺激となるであろう。ここでは結論だけ述べるが、正解は「律法VS信仰」ではない!
 
神を信じなさいではなく、神のフェイスを持て(Mark 11:22
 
セルフによらず、キリストによる
 
 
 
ヨハネの箇所の釈義
 
 まず初めに、ヨハネ629を釈義しましょう。
 
ヨハネ6:27~29
27 なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認証されたからです。」
28 すると彼らはイエスに言った。「私たちは、神のわざを行なうために、何をすべきでしょうか。」
29 イエスは答えて言われた。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」
 
 
 27節で「働きなさい」と訳されているのは、エルガゾマイという動詞です。
 
 これの名詞形が、28節と29節で「わざ」と訳されているエルゴンです。
 
 エルゴンには、「働き、労苦、行動、行い」といった意味があります。
 
 この二つが同じ言葉であることを理解することで、28節の「 」内の質問が的外れではないことがわかります。
 
 聴衆は、永遠のいのちをもたらすことが神の働き(エルゴン)であること理解しました。
 
 それで今度は、その神の働き(エルゴン)を行うにはどうすればよいのだろうか? という疑問が沸いてきたのです。
 
 それに対する答えが29節です。
 
 29節の「 」内を、もう少しわかりやすく訳し直してみましょう。
 
あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それは神の働きです。
 

 つまりイエスさまは、こう言っているのです。
 
「人がキリストを信じることは、神の働きである。」

 
 罪人である人間は、独力ではキリストを信じることができません。
 
 キリストを信じるには、神の働きが必要です。
 
 イエスさまはこの箇所の少し先の部分で、正にそういう趣旨のことを語っています。
 
 
わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。
 
 
 神による引き寄せの働きがない限り、誰ひとりキリストを信じることはできない。
 
 イエスさまが云わんとしているのは、そういうことです。

 これは、29節の答えとほぼ同じ内容です。
 
 罪人がキリストを信じることができるとしたら、それは恵みによる神のわざなのだ。
 
 イエスさまは、そういう趣旨のことを言っているのです。
 
 パウロの言葉で言うと、こうなります。
 
エペソ2:8
あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
 
               ***
 
 そういうわけで、ドクターKが言う「弟子たちは自分のわざに注意をおくが、ジーザスは神のわざを指摘する」という理解は2つの点で的外れです。
 
 一つ目は、28節の質問をしたのは群衆であって弟子たちではありません。
 
 この誤りは、些細なことかもしれません。

 しかし、ドクターKがテキストの箇所を十分に理解していないことの証拠でもあります。
  
 二つ目は、28節の質問が間違っているかのように言っている点です。
 
 28節の質問の実質的な内容は、永遠のいのちを得るにはどうればよいか、ということです。
 
 ですからイエスさまはその答えとして、それは人がキリストを信じることだと言っているのです。

 従ってイエスさまは、事実上、信仰による救いを語っていることになります。

 何らかの行いをせよとは言っておられないからです。
 
 また、キリストへの信仰を表明することは、永遠のいのちを得るための必須条件です。 
 
 本物のドクター・ルーク(ルカ)は、こう記しています。
 

使徒16:31
主イエスを信じなさいそうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。                              


 この箇所は、人が救われるには信じることが必要であることを教えています。
 
 ですからヨハネ6:28の質問は、極めて妥当な質問なのです。
 
 ドクターKは、その点を見誤っています。
 
 ちなみに、現代ギリシャ語訳新約聖書のマルコ1122は次のように訳されています。
 
 
να έχετε  πίστιν  στον θεόν και την δύναμίν του
持ちなさい 信仰を への  神 と    力  彼の
 
訳:神と神の力に対する信仰を持ちなさい
 
 
引用元:
 

 このように、ギリシャ人の学者は「神のフェイスを持て」ではなく、「神への信仰を持て」と訳しています。

 ドクターKとギリシャ人学者。

 聖書ギリシャ語により詳しいのは、どちらでしょうか?

 
●あとがき
 
 ドクターKは、ヨハネの箇所の解釈を間違えています。

 また、マルコ1122に関する正しい理解もありませんでした。

「神を信じなさい」という邦語訳は正しいのです。
 
 従って、根本的に誤っているのはドクターKであって、プロテスタントの「信仰義認」ではありません。
  
 終わり


*尚、ガラテヤ21620に関して知りたい方は、前回の記事をお読みください。