ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

マタイ10:23「人の子が来るとき」の意味

 
 マタイ1023は、歴史的に様々な解釈がされています。
 
人の子が来るとき」という表現は、いったい何を意味するのでしょうか?
 
 再臨と理解してしまうと、「イスラエルの町々を巡り尽くせない」と辻褄が合いません。
 
 いろいろなサイトを調べてみて、最も説得力があるサイト(英語)を基に記事を書いてみました。 
               
 
主が来る=裁き
 
マタイ10:23
彼らがこの町であなたがたを迫害するなら、次の町にのがれなさい。というわけは、確かなことをあなたがたに告げるのですが、人の子が来るときまでに、あなたがたは決してイスラエルの町々を巡り尽くせないからです。
 
 
  マタイ10:23の「人の子が来るとき」の「来る」は、エルコマイの訳語です。

 エルコマイには、「来る」のほかに「行く」という意味もあります。
 
 聖書中で「主が来る/行く」という表現がされるとき、罰や裁きの意味があると言われています。
 
 参考サイトでは、その事例として黙示録2516が挙げられています。
 
 
黙示録2:5・口語訳
そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて(エルコマイ)、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。
 
黙示録2:16・口語訳 
だから、悔い改めなさい。そうしないと、わたしはすぐにあなたのところに行き(エルコマイ)、わたしの口のつるぎをもって彼らと戦おう。
 
 
裁き=異邦人の軍隊
 
 旧約聖書では、神はイスラエルの罪を裁くため、異邦人の軍隊を用いました(例:イザヤ1325)。
 
 後述しますが、この手法はマタイ1023と共通です。
 
 
イザヤ13:25
はげ山の上に旗を掲げ、彼らに向かって声をあげ、手を振って、彼らを貴族の門に、はいらせよ。
わたしは怒りを晴らすために、わたしに聖別された者たちに命じ、またわたしの勇士、わたしの勝利を誇る者たちを呼び集めた。
聞け。おびただしい民にも似た山々のとどろきを。聞け。寄り合った王国、国々のどよめきを。万軍の主が、軍隊を召集しておられるのだ
彼らは遠い国、天の果てからやって来る。彼らは全世界を滅ぼすための、主とその憤りの器だ。 
 
 
ルカ21章との類似性
 
 マタイ10章の文脈は、ルカ21章と酷似しています。
 
 マタイよりも詳細に書かれているルカ21章と比較することで、マタイ10:23の「人の子が来るとき」の意味が判明します。
 
 
マタイ10:17~20 
17 人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを議会に引き渡し、会堂でむち打ちますから。
18 また、あなたがたは、わたしのゆえに、総督たちや王たちの前に連れて行かれます。それは、彼らと異邦人たちにあかしをするためです。
19 人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。
20 というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。
 

 上記の部分は、ルカ21:1215と酷似しています

 
ルカ21:1215
12しかし、これらのすべてのことの前に、人々はあなたがたを捕えて迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出すでしょう。
13 それはあなたがたのあかしをする機会となります。
14 それで、どう弁明するかは、あらかじめ考えないことに、心を定めておきなさい。
15 どんな反対者も、反論もできず、反証もできないようなことばと知恵を、わたしがあなたがたに与えます。
 

 また、マタイ10:21~22は、ルカ2116~19と酷似しています。


マタイ10:2122
21 兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に立ち逆らって、彼らを死なせます。
22 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
 
ルカ21:16~19
16 しかしあなたがたは、両親、兄弟、親族、友人たちにまで裏切られます。中には殺される者もあり、
17 わたしの名のために、みなの者に憎まれます。
21:18 しかし、あなたがたの髪の毛一筋も失われることはありません。
21:19 あなたがたは、忍耐によって、自分のいのちを勝ち取ることができます。
 
 
 いよいよ問題のマタイ10:23です。
 
 この箇所に相当するのは、ルカ21:20です。
 
 
マタイ10:23
彼らがこの町であなたがたを迫害するなら、次の町にのがれなさい。というわけは、確かなことをあなたがたに告げるのですが、人の子が来るときまでに、あなたがたは決してイスラエルの町々を巡り尽くせないからです。
 
ルカ21:20
しかし、エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、そのときには、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。
 
 
 というわけで、「人の子が来るとき」というのは、AD70年のローマ軍によるエルサレムの包囲ということになります。
 
 この結論は、ロゴス・ミニストリーの解釈と一致します。
 
 
 そして、「人の子が来るときまでに」とありますが、ここではおそらく再臨のことではないと考えられます。なぜなら、「イスラエルの町々を巡り尽くせない」とイエス様が言われているからです。おそらくは、ここの文脈ではイスラエル人に対する宣教をイエス様は述べておられるので、彼らの拠り所である神殿が破壊される日、つまり紀元後70年のローマ軍がエルサレムの神殿を破壊した日であると考えられます。
                               (強調はダビデ
 
 終わり