ダビデの日記

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「主と会う」の意味 1テサロニケ4:17

 
 1テサロニケ417の「主と会う」に関するワードスタディーです。
 
 みなさんの聖書研究の参考になれば幸いです。
 
 
1テサロニケ4:16~17
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
 
 
 17節で「会う」と訳されているのは、アパンテシスπάντησιςという言葉です。
 
 アパンテシスは新約聖書中で4回使われており、上記以外では次の箇所になります。
 
 
マタイ25:16 
1 そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。
6 ところが、夜中になって、『そら、花婿だ。迎えに出よ。』と叫ぶ声がした。
 
使徒28:15
私たちのことを聞いた兄弟たちは、ローマからアピオ・ポロとトレス・タベルネまで出迎えに来てくれたパウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた。
 
                ***

 お気づきかと思いますが、どの箇所のアパンテシスも「出迎える」と訳されています。
 
 つまり、この言葉には、普通に「会う」のとは違うニュアンスがあるのです。
 
 出迎えるということは、出て来た場所に戻ることが前提であることになります。
 
 Vine's Expository Dictionary of NT Wordsは、アパンテシスについて次のように述べています。

 
It is used in the papyri of a newly arriving magistrate. "It seems that the special idea of the word was the official welcome of a newly arrived dignitary" (Moulton, Greek Test. Gram. Vol. I, p. 14).  
 
 それ(アパンテシス)は古文書の中で、新着の行政長官について使われている。

「この言葉の特殊な意味合いは、新着の高官を公式に歓迎することであったようだ。」
 
 
 DA・カーソンは、New Bible Commentaryの中で、「空中で主と会う」について次のように解説しています(P1283)。
 
The picture is that of a group of citizens going out from a city to meet a visiting dignitary and accompany him back. This implies that the Lord returns with his people to the earth.
 
 この描写は、市民の一団が街から出て行き、訪れた高官に会って、彼を連れて(街に)戻るというものである。

 これは、主が、ご自分の民と共に、地上に戻ることを暗示している。
 
 
●あとがき
 
 アパンテシスの使われ方を1テサロニケ417に当てはめると、どうなるでしょうか。
 
 出迎えるのは地上にいる信者ですから、主を出迎えた後は地上(オリーブ山)に戻ることになります(ゼカリヤ14:4、使徒1:11)。
 
 カーソンの指摘は正しいわけです。
 
 つまりパウロは、空中に引き上げられた信者が天国に行くとは考えていないということです。
 
 この見解は、使徒1章の天使たちの言葉と一致ます。
 
 
使徒1:11
そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」
 
 
 このとき主イエスは、地上から天に挙げられました。
 
「同じ有様で」と訳されているギリシャトゥロポスは、「同じ方法で」と訳すことも可能です。
 
 つまり、主が次回戻って来られるとき、最終的にはオリーブ山の山頂まで降りてくるのです。
 
 途中で天に戻ってしまうとは、ほのめかしてもいません。
 
 患難前携挙説は、天使たちのこの言葉を軽視しているのではないでしょうか。
 
 だから次回に戻ってくるとき、オリーブ山に降り立つことを考慮に入れていないのです。
 
 終わり