クリスチャンは死後どうなるのか?
ある日本人神学者が、クリスチャンの死後の状態について次のように述べています。
実を言えば、「人は死ぬと魂は肉体を離れて天国に行く」という考えは、まったく非聖書的というわけでもありません。人が死んでから、世の終わりに肉体が復活するまでの間、どのような状態で存在しているのか(「中間状態」といいます)に関しては、聖書は明確に述べておらず、いろいろな説があります。意識のある霊魂の状態で神とともに存在すると考える人もいれば、世の終わりの肉体の復活の時まで「ソウル・スリープ」と呼ばれる無意識状態になると考える人もいます。
(強調はダビデ)
引用元:鏡を通して
***
私が違和感を持つのは、「聖書は明確に述べておらず」という部分です。
信者の死後の状態について、聖書が明確に述べていないというのは本当でしょうか?
明確でないのは、この方の聖書理解のほうかもしれません。
●死=キリストとともにいること
ピリピ1:21、23
21 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。
23 私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。
ピリピの箇所を原文で見ると、「世を」という言葉は書かれていません。
24節に「この肉体にとどまることが…」とあることから、肉体を「去る」と理解すべきでしょう。
ですから、肉体を去った信者の魂は、キリストと共に存在することになるのです。
では、主イエスは今、どこにおられるのでしょうか?
エペソ1:20によれば、天におられる神の右の座に着いておられます。
ですからクリスチャンは死後、天に行くのです。
エペソ1:20
神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて
●肉体からの離脱=主のみもとにいること
2コリント5:1~2
1 私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。
2 私たちはこの幕屋にあってうめき、この天から与えられる住まいを着たいと望んでいます。
3 それを着たなら、私たちは裸の状態になることはないからです。
2コリント5:6、8
6 そういうわけで、私たちはいつも心強いのです。ただし、私たちが肉体にいる間は、主から離れているということも知っています。
8 私たちはいつも心強いのです。そして、むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています。
ピリピの箇所と同じように、死後は主のみもとにいるという理解が示されています。
6節の「肉体にいる」と8節の「主のみもとにいる」の「~にいる」という部分には、
エンデメオーの意味は、「家にいる/to be at home」です。
従って直訳すると、6節は「肉体という家にいる」、8節は「主と共に家にいる」となります。
さらに3節では、「それを着る」と言っています。
この文脈で考えるなら、クリスチャンが死後、「天にある永遠の家」に住むことになるのは明白です。
ちなみに、「主から離れている」の「離れている」の部分には、
パウロにとって肉体に留まることは、天国という家から離れていることを意味し、
肉体を去ることは、天国という家にいることを意味しているのです。
●たましいが天国に行く
黙示録6:9
小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
これは、明らかに殉教したクリスチャンの魂を指しています。
クリスチャンが死ぬと、魂が肉体から離れて天に行くのです。
これは、とても「ソウル・スリープ状態」にあるとは言えません。
●天のエルサレムに近づいている
へブル12:22~24
しかし、あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。23 また、天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者である神、全うされた義人たちの霊、24 さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血に近づいています。
この箇所も参考になります。
クリスチャンが天に向かっていることは明白です。
●あとがき
このように聖書は、クリスチャンが死後に天国に行くことを明確に教えています。
「聖書は明確に述べておらず」というのは、まったくの妄言にすぎません。
「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」ルカ23:43
終わり