キリストにある死者の復活と携挙のタイミング
携挙のタイミング・シリーズです。
この記事では、信者の復活を起点にして携挙のタイミングを確認します。
●信者の復活と携挙
1テサロニケ4:16~17
16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
17 それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。
上記の箇所でパウロが言っているとおり、携挙の際には「キリストにある死者」が復活します。
この点はどの携挙説でも同じです。
さて、患難前携挙説によると、携挙は患難期の前、あるいは患難期がはじまった直後に起こると説明されています。
ですから信者の復活も、その同じ時に起こることになります。
ここで、信者の復活に関するイエスさまの教えを見てみましょう。
イエスさまによると、信者の復活は「終わりの日」に起こります。
ヨハネ6:39
わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。
ヨハネ6:40
事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。
ヨハネ6:44
わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
ヨハネ6:54
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
さて、39節と40節には「ひとりひとり」と書かれています。
現に、口語訳では「ことごとく」と訳されています。
口語訳・ヨハネ6:40
わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして、わたしはその人々を終りの日によみがえらせるであろう
ですから、携挙の際に起こる「キリストにある死者」の復活では、それまでに亡くなった「すべての」信者が「ことごとく」よみがえります。
●「終わりの日」=千年王国
ヨハネ11:24
このマルタの言葉に注目してください。
「終わりの日」と言った直後に、「よみがえりの時」とつけ加えています。
さらに、次の主の言葉を見てください。
こちらの「終わりの日」は、不信者が裁かれる日です。
ヨハネ12:48
わたしを拒み、わたしの言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことばが、終わりの日にその人をさばくのです。
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さて、マルタが言う信者の「よみがえりの時」は、黙示録でいうと「第一の復活」です。
黙示録20:4~5
また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行なう権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。
そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。
ですから「第一の復活」は、イエスさまが「すべての」信者に約束した復活と考えるべきです。
黙示録20:12
また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。
これは「大きな白い御座」の裁きと呼ばれるものです(黙示録20:11)。
またこれは、信者の復活の千年後に起こる不信者の復活です(黙示録20:5)。
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それでは、これまで見てきたことを整理しましょう。
ヨハネ6章の「終わりの日」は「第一の復活」でした。
「終わりの日」=第一の復活
一方、ヨハネ12章の「終わりの日」は「大きな白い御座」の裁きでした。
「終わりの日」=大きな白い御座の裁き
「終わりの日」=千年王国
つまり、携挙が起こるタイミングは(地上)再臨の時です。
簡潔にまとめると、次のとおりです。
携挙のタイミング=信者の復活=再臨の日=終わりの日=千年王国/主の日の冒頭
●あとがき
患難前携挙説は、主イエスの言葉と食い違っています。
間違った学説ではなく、主の御言葉のほうを信じましょう。
終わり