インクルーシオが示す福音書の信頼性
マルコやルカの福音書は、情報源となった目撃証言者が誰であるかを明示しています。
福音書の筆者らが、インクルーシオと呼ばれる技法によってそれを示しているからです。
このインクルーシオを知ることにより、福音書が確かな証言に基づいた真実な内容であることを確認できます。
●目撃者
ルカ1:1~4
1私たちの間ですでに確信されている出来事については、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人々が、私たちに伝えたそのとおりを、多くの人が記事にまとめて書き上げようと、すでに試みておりますので、私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。尊敬するテオピロ殿。それによって、すでに教えを受けられた事がらが正確な事実であることを、よくわかっていただきたいと存じます。
ルカは福音書の冒頭で、「初めからの目撃者」と呼ばれる人たちに言及しています。
この「初めから」というのは、主イエスの公生涯の初めを指しています。
公生涯の目撃者たちは、自分たちの目撃証言を他の人々に伝えていました。
ルカはそのような形で伝えられた目撃証言を、「正確な事実」(新共同訳:確実なもの)と呼んでいます。
では、この「初めからの目撃者」(複数形)というのは、誰なのでしょうか。
インクルーシオを通して、それを見つけましょう。
●インクルーシオ
インクルーシオ:文書中のあるセクションの始めと終わりに、類似した素材を配置してフレームを作り、フレーム内の内容と配置した素材の間に関連性があることを示したり、配置した素材がフレーム内の重要なテーマであることを示す技法。
このような定義を読んでもわかりませんので、実例を見てみましょう。
事例1:マタイ4:23~9:35
マタイ4:23・新共同訳
マタイは4:23~9:35の初めと終わりに、「御国の福音を宣べ伝え」という共通したフレーズを配置しています。
ギリシャ語の原文を見ても、まったく同じフレーズが使われています。
これにより、4:23~9:35に書かれた公生涯の中心テーマが、「御国の福音の宣伝」であったことがわかります。
事例2:マタイ5:17~7:12
マタイ5:17・新共同訳
マタイ7:12・新共同訳
このインクルーシオという技法は聖書だけのものではなく、古代ギリシャ・ローマ社会では一般的な修辞技法でした。
●マルコの福音書のインクルーシオ
それでは、マルコの福音書のインクルーシオから、何がわかるのでしょうか?
マルコ1:16
マルコ3:16
これらの箇所から、マルコの福音書の情報提供者(目撃証言者)がペテロであることがわかります。
インクルーシオから判明したこの結果は、他の情報からも確認できます。
1ペテロ5:13
バビロンにいる、あなたがたとともに選ばれた婦人がよろしくと言っています。また私の子マルコもよろしくと言っています。
これによりマルコは、ペテロの霊的息子であったと言われています。
●ルカの福音書のインクルーシオ
では、ルカの福音書の目撃証言者は誰なのでしょうか?
目撃証言者1:ペテロ
ルカ4:38・新共同訳
ルカ24:34 ・新共同訳
本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。
Following Mark, Luke has made sure that Simon Peter is both the first and the last disciple to be individually named in his Gospel (4:38; 24:34), thus acknowledging the incorporation of the Petrine witness.
訳
しかし、ルカの目撃証言者は、ペテロだけではありませんでした。
目撃証言者2:女性たち(マグダラのマリア、ヨハンナ、その他)
ルカ8:2~3
また、悪霊や病気を直していただいた女たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリヤ、ヘロデの執事クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか自分の財産をもって彼らに仕えている大ぜいの女たちもいっしょであった。
ルカ24:10
これらの箇所にはマグダラのマリア、ヨハンナ、他の女性らの名が配置されており、
彼女たちもルカの福音書の目撃証言者であったことがわかります。
ルカはこれらの女性たちに聞き取り調査を行い、福音書を記したと考えられます。
●あとがき
このように福音書は、自身の情報ソースを明示しています。
マルコとルカの目撃証言者は一番弟子のペテロであり、特にルカの福音書には複数の女性の目撃証言も含まれています。
これらの証言者は、公生涯の「初めからの目撃者」です。
マルコやルカ自身は十二弟子ではありませんが、福音書の内容そのものは十二弟子の証言に基づいているのです。
このことを考えるとき、福音書の内容が何よりも確かな情報であることが確認できます。
終わり