ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

良いディスカッション パート2

 
 年末に、ヨハネ1613を巡って「ダビデの日記」を批判していたブログが、そのテーマに関する新しい投稿をしました。
 
 その投稿では、「良いディスカッション」という記事で私が犯した不注意なミスが指摘されています。
 
 そのミスの反省の意味を込めて、この箇所に関して加筆したいと思います。
 
 まずは、その新しい投稿の抜粋を見ておきましょう。
 
 
ヨハネ16:12-15
12 わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。
13 けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。
14 御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。
15 父がお持ちになっているものはみな、わたしのものである。御霊はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるのだと、わたしが言ったのは、そのためである。
 
 御子がこの言葉を弟子たちに語っていた時点で、御子は「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない」と言っている以上、13節の「あらゆる真理」が「御子が地上における公生涯において語り伝えた教えの全て」を指しているのではないことは明らかである。単純に言えば、御子は弟子たちにもっと多くのことを教えたかったが、弟子たちの弱さのゆえにそれができなかったからである。
 
 
 上記で指摘されているとおり、「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない」と主が言っておられる以上、
 
「あらゆる真理」の中に、ペンテコステ以降に啓示された真理が含まれていなければならないことは確かです。
 
 この指摘はまったくそのとおりです。
 
 私は「あらゆる真理」を定義づけた際、12節の内容を考慮しなかったのです。
 
 しかし、このミスのゆえに、この箇所がすべてのクリスチャンに適用できることにはなりません。
 
 その点を確認しておきたいと思います。
 
 
普遍的な適用は不可
 
ヨハネ161213
12 わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。
13 けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。
 
 
 12節の「あなたがたは今はそれに堪えられない」という部分から、何がわかるでしょうか?
 
 それは、「あなたがた」という言葉が十二弟子だけを指しているということです。
 
「今」と訳されているギリシャ語はアルティーといい、「今、ちょうど今、この瞬間に」という意味です。
 
 ですから、12節のアルティーが指しているのは、最後の晩餐のことです。 
 
 そのとき主と共にいたのは十二弟子だけですから、12節の「あなたがた」というのは十二弟子を指しています。
 
 現代のクリスチャンは「あなたがた」の中に含まれません。
 
 これが、13節の約束の背景です。
 
 さて、そのとき主イエスには、弟子たちに伝えたいことがまだまだありました。
 
 しかしその時点では、弟子たちにそれを受け止める力がありませんでした。
 
 このことは、聖霊の降臨以降に更なる啓示があったことを示しています。
 
 それではペンテコステ以降に示された真理には、どのようなのものがあるのでしょうか。
 
 その一例として、マタイ8:17を挙げて説明します。
 
 
ペンテコステ以降の啓示
 
マタイ8:16~17
16 夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。そこで、イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気の人々をみなお直しになった。
17 これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」
 
 
 この箇所でマタイが伝えようとしているのは、次のことです。
 
イエス・キリストの公生涯では病人がみな癒された。
 
 これはイザヤ534のメシア預言の成就である。
 
 従って、イエス・キリストはイザヤが預言したメシアである。」 

 さて、マタイ8章の時点では、イエスがメシアであることは、まだ弟子たちに明らかにされていませんでした(マタイ161617)。
 
 それゆえ17節のような内容は、ペンテコステから福音書執筆の間に、マタイに啓示されたはずです。
 
 それは取りも直さず、マタイに対するヨハネ1613の約束の成就と言えます。 

 しかし現代の信者の中には、マタイの箇所を誤解する方々が少なくありません。

 次のような誤解です。
 
「この箇所は、すべての人がキリストによる癒しを受けられることを約束している。
 
 だから、誰でも例外なく超自然的な癒しを受けられる。」

 この誤解の一例として、ある教会の礼拝説教を取り上げます。
 
 マタイ81617に基づいた説教の中で、以下のように語られています。
 
16節に大勢の病める人が連れて来られ、みな癒されたとあります。イエスの癒しの御業はすべての人に対して開かれ、与えられる、神様からの麗しい恵みの贈り物です。当然、あなたも癒して下さいます
                               (強調はダビデ
 
 この解釈は、いわゆるフェイスヒーラー(faith healer)の主張と同じ誤りです。
 
 マタイはイエス・キリストがメシアであることを示すためにイザヤを引用しているのであって、すべての人が神癒を受けられることを約束しているわけではありません。
 
 このような間違った解釈が起こることは、何を示すのでしょうか?
 
 それは、真理の御霊が到来したにもかかわらず、現代のクリスチャンは「あらゆる真理」には導かれていないということです。
 
 部分的、あるいは断片的にしか真理を理解していません。

 誤解を持ったまま召天していく信者もいるのです。
 
 要するに、「真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう」という約束は、現代のクリスチャンには成就していないのです。
 
 
●まとめ
 
 ヨハネ1613の約束が語られたとき、その場にいたのは十二弟子だけでした。
 
 そして、その約束は現代の私たちには成就していません。
 
 これが示すことは、ヨハネ1613の約束が十二弟子にしか適用できないということです。
 
 終わり