なぜ書くのか? その2
●私の動機
動機は至って単純です。日本の教会、特にカリスマ・ペンテコステ派に、間違った教えが蔓延していることにうんざりしているからです。余りにも聖書の教えが歪められて伝えられていることに、嫌気がさしているからです。そして、少しでも日本のクリスチャンを間違った教えから引き離したいからです。
●良い木と悪い木
イエスが良い木と悪い木の話をしたとき、以下にあるとおり、まず「狭い門」の話をしています。
マタイ7:13~27
14 いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
●説明
13節の「狭い門」の話のテーマは、信じる内容です。何でもかんでも信じれば救われるのではなく、救いに至る教えは排他的で限定的だと述べています。
17節から良い木と悪い木の話が始まりますが、冒頭で「同様に」と言っています。この言葉はホウトウというギリシャ語で、「~と同じ方法で」という意味です。ですから、良い木と悪い木の話の観点も、教えであることがわかります。すなわちイエスが「実」と言っているものは、教えのことなのです。
良い木からは真理が出てくるが、悪い木からは偽りの教えが出てくるので(18節)、「実」(教え)によって、良い木か悪い木かを見分けることができると言っています(20節)。悪い教えを語る者は「みな切り倒されて、火に投げ込まれます」(19節)
●デイビッド・テイラー
彼は「経歴」紹介のウエブで、1989年12月、クリスマスの数日前の夜に夢を見、その中で目の前にイエスが立っていたと言っています。その夢について彼は以下のように述べています。参照ウエブ:http://www.gospel.co.jp/davidtaylor/jp/profile.php
I know someone is thinking or saying, but the Bible says, "That no man hath seen God at anytime" (John 1:18) and "no man can see God and live" (Exodus 33:20) just as God told Moses. That's true, but when the Bible says these scriptures they are not referring to Jesus, but to the Father. 」
(日本語訳)
ある人が次のように思っているのを知っています。聖書は「未だかつて神を見た者はい。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである」(ヨハネ1:18)と教えているし、神はモーセに「人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである」(出エジプト33:20)と言っています。その通りです。しかし聖書がこのように教えているのはイエスのことではなく、父なる神のことなのです。
このようにテイラーは、聖書が人には父なる神を見ることはできないと教えているのを知っています。しかし「偽使徒来日」の記事で抜粋した日本語版の紹介文には、「2000年にはイエス様に天国につれて行かれて、神様に紹介されました」とあります。
年月がたっても聖書の真理は変わりません。ですからテイラーの紹介には、自己矛盾があるのです。たとえ彼がどれほどの奇蹟を体験したり、行ったとしても、それをもって彼を「良い木」とすることはできません。
●テイラーの夢
韓国の教会での奉仕ビデオ:https://www.youtube.com/watch?v=Gm3_v53KCH0
自分の本を売るために、このような偽りを世界中で触れ回っている人物。マタイ7章のイエスの例え話と照らし合わせたら、羊の姿をしてやって来る「貪欲な狼」そのものではないでしょうか。
私は日本のクリスチャンたちが、このような偽りに惑わされるのが嫌なのです。だからこのような記事を書くのです。