ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

なぜ書くのか? その1


もし主が使わした器であったとしたら、お前等はどうするつもりかな?」(原文ママ
 
 上記は、「偽使徒来日」の記事にあったコメントの抜粋です。ある意味、重要な指摘ではないでしょうか。
 
 イエスさまの言葉を借りるなら、デイビッド・テイラーのような人物が「良い木」だったらどうするのか、という質問です。この質問には、後ほどイエスさまご自身の言葉によって答えていただこうと思います。
 
 しかしその前に、なぜ私がカリスマ・ペンテコステ派批判とも思える記事、いえ、カリスマ・ペンテコステ派の人たちからすれば、そうとしか思えない記事を書くのかについて述べたいと思います。
 
 まずは要らぬ誤解を招くことがないために、私が終焉説の信奉者ではないことを繰り返しておきます。私は、現代でも神がしるしと不思議、癒やしと奇蹟を行う(継続説)と信じています。
 
 私自身の体験を書けば、そうであることが証できると思うので、一つだけ書こうと思います。
 
●私の体験談
 もう何年も前の話ですが、私はフィリピンの山岳地帯に伝道に行ったことがあります。少し前までは服を着る文化もなく、結婚という概念すら持っていなかった未開の人々の村に行きました。
 
 そこでは伝道だけでなく、すでに救われていた人たちのためにセミナーも行いました。私は聖霊バプテスマセミナーを行った後、聴衆のために祈ろうと思い、人々のほうに向かいました。
 
 すると、まだ2、3メートル離れているのに、人々はバタバタと倒れてしまいました。これは、slain in the Spirit /スレイン・イン・ザ・スピリットと呼ばれている現象です。聖霊の働きによって人々の意識が遠のき、気持ち良くなって倒れてしまうのです。
 
 いろいろな説明がなされていますが、私は使徒2413がこの状態を説明していると思います。
 
 4節に「みなが聖霊に満たされ」とあるように、聖霊に満たされると「酔っている」(13節)かのような状態になるのです。つまり、意識が薄れて気持ちよくなるのです。
 
 使徒2章の場合、弟子たちは倒れるには至っていませんが、聖霊に満たされて気持ちがよくなる状態は、まさにスレイン・イン・ザ・スピリットの特徴です。

 倒れるか否かは、聖霊の力が働く度合いの問題です。あるいは、霊的に敏感な人は聖霊の力にも敏感に反応するので、倒れやすいとも言えます。ちなみに、私自身は倒れたことはありません。
 
 スレイン・イン・ザ・スピリットの話は、私が継続説の信奉者であることの一例にすぎません。そういうわけで、私は終焉説の信奉者だからという理由で、一連の記事を書いているのではありません。
 
つづく