ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

キリストの着座と権威の関係


 
御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれましたへブル1:3
 
 
●着座は権威の象徴
 
 現在キリストが天で果たしている役割は、「キリストの着座」と呼ばれている。
 
 新約聖書では、キリストは通常、父なる神の右に座していると描写されている。この着座の意味は、活動していないことではなく権威の座に着いていることを示している。
 
 詩篇110篇を見ると、王であり祭司であるメシアが、神の右の座に着いていることがわかる。
 
1節 王としてのメシアが敵を従えるために神の右の座に着いている
 
わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。
 
4節 永遠の祭司として神に仕え、恵みの管として機能するメシア
 
あなたは、メルキゼデクの例にならい、とこしえに祭司である。」
 
 
旧約のメシアはイエス・キリストに成就した
 
 詩篇110篇のメシア観が、使徒2:34~35、へブル1:13、へブル10:12、マタイ22:44では、イエス・キリストに適用されている。
 
 
神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていなさい。」へブル1:13
 
エスは彼らに言われた。「それでは、どうしてダビデは、御霊によって、彼を主と呼び、『主は私の主に言われた。「わたしがあなたの敵をあなたの足の下に従わせるまでは、わたしの右の座に着いていなさい。」』と言っているのですか。マタイ22:43~44
 
 
●新約における統治
 
 昇天以降、イエス・キリスト神の国を積極的に統治している。天使も人間も、キリストの支配のもとにある(マタイ22:18、第一ペテロ3:22)。
 
天使に対する支配
キリストは天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座におられます。第一ペテロ3:22 
 
人間に対する支配
わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。マタイ22:18
 
 
 御体なる教会にはキリストの権威が直接的に働いている。
 
神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。エペソ1:22
 
 
 こんにち国家は、旧約時代のような神の王国の形式をとってはない。しかしキリストは、市民社会の平和を維持するため、世俗の権威者を用いる。それゆえ弟子たちにも、世俗の権威に従うよう命じた(マタイ22:21、ローマ13:1~7)。
 
 
彼らは、「カイザルのです。」と言った。そこで、イエスは言われた。「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」マタイ22:21
 
 
 しかしキリストの国はこの世に属さないため、剣を用いてキリストの国を世俗に押し付けることはない(ヨハネ18:36)。
 
わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。ヨハネ18:36
 
 
 すべての人間は、裁き主としてのキリストの前で、最終的に責任を問われることになる(マタイ25:31、使徒17:31、ローマ2:16、第二コリント5:10)。
 
人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。マタイ25:31
 
なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。使徒17:31
 
私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって人々の隠れたことをさばかれる日に、行なわれるのです。ローマ2:16
 
なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。第二コリント5:10
 
 
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J・I・パッカー「コンサイス・セオロジー」P129~P130