ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

クリスチャン(教会)の未来の姿

第13章 永遠に王であり祭司

クリスチャンにとって、自分がどのような存在であるかを理解しておくことはとても大切です。自分の将来の姿についても、また然りです。教会に対する、神の究極の目的とはどのようなものなのでしょうか。


●永遠の召し

まず私たちは、神が「永遠」というものにこだわっていることを理解しておく必要があります。もちろん、神は現在のことにも心を配ってくださいます。というのは、地上での歩みが永遠を決定するわけですから。

しかしクリスチャンたちは、自分たちが将来、どれほど栄光に満ちた立場に就くことになるかをほとんど知りません。知っているのは、いつか天国に行けるだろうくらいのことだけです。でも考えてみてください。天国というのは、実は一時的な場に過ぎないのです。そうです。私は、天国は一時的な場だと言っているのです。これは教会にとっても、神の御座に関しても言えることです。いくつかの御言葉を見てみましょう。


「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」マタイ24:35


「また、最後の七つの災害の満ちているあの七つの鉢を持っていた七人の御使いのひとりが来た。彼は私に話して、こう言った。『ここに来なさい。私はあなたに、小羊の妻である花嫁を見せましょう。』そして、御使いは御霊によって私を大きな高い山に連れて行って、聖なる都エルサレムが神のみもとを出て、天から下って来るのを見せた。都には神の栄光があった。」黙示録21:9~11


「御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。」黙示録22:1~5


神の御座が、新しいエルサレムにあることは確かです。そしてその新しいエルサレムは、天国を出て、地上に下りてきます。そのとき教会は、キリストと共に永遠に地上を治めることになるのです。そして新しいエルサレムが、その統治の拠点となります。

そのとき私たちが具体的に何をするか、またどのように統治するかについては書かれていません。しかし神の究極の目的が、キリストを御国の王として立て、教会に地上を統治させることであるということはわかっています。

教会は、小羊の花嫁として召されています。神がキリストを十字架で死なせるために遣わした理由は、この花嫁にいのちをもたらすためでした。そしてひとり子の永遠なる伴侶とするためだったのです。エデンの園で予表されていた通り、神は、第二のアダムであるキリストが独りでいることは良くないと思われたのです。そこで神は教会を召し出し、キリストの永遠の伴侶としました。単に永遠の伴侶とするだけではなく、キリストと共に御国の共同統治者とするためだったのです。恵みがあまりにも大きくて唖然としてしまうほどです。


つづく


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