「私がIHOPを去った理由」~元IHOPKCインターン奉仕者の証~その1
ブレイス・フォレイは、ノースカロライナ州に住む32歳の若き伝道者であり、著作者でもあります。彼は20代の頃、友人たちとIHOPカンザス・シティ(以降はIHOPKC)に入会し、インターン奉仕者としての学びや奉仕を経験しました。しかし後に教えの内容や組織の内部事情に疑問を抱き退会します。彼は退会後3年間、その体験を胸に秘めていましたが、どうしても証しなければならないという思いに迫られ、その封印を解きます。
引用元:
この証は、同じような経験をしているかもしれない人のために語るものです。私の願いは、希望と明確な答えを提供することです。また同時に、このような団体があることすら知らない方々のためでもあります。これを書くのは問題のある宗教組織が存在することを明らかにするためで、これを読む人にこのようなミニストリーや、そこへの入会によって受ける混乱を避けてほしいという願いからです。この証を読む人が、癒やしと心地よさと啓発を受けられるよう祈ります。(中略)
私は2008年、25歳のときに、国際祈りの家カンザス・シティといって、祈りと礼拝を土台にした若者向けのミニストリー団体に入りました。私はイエスに夢中な若者で、宣教に燃え、祈りと礼拝を愛していました。私は当時働いていた別のミニストリー団体から休暇をとり、人生における次のスッテプを見出そうとしていました。私は16歳の頃から説教をしており、21歳のときにIHOPの話を聞きました。指導者のマイク・ビックルが初期の頃に語っていた神の愛に関する説教に強く心を揺さぶられました。私はテキサスの大きなミニストリー団体で7年間働いた後、半年分の資金援助を受けてそのミニストリー団体を離れ、祈り込みのためにカンザス・シティに行きました。私は霊に飢え乾いており、もっと神を知りたいと思っていました。そして今後、伝道者としての自分が行くべき道について、神の声を聴きたいと願っていました。
2008年10月、私はIHOPKCを尋ねました。休暇の最初の40日間を「ナイト・ウォッチ」と呼ばれる徹夜祈祷会で過ごそうと思ったのです。IHOPKCは24時間毎日ノンストップのプレアールーム(祈りの空間)で、そこには「とりなしの宣教師」と呼ばれる奉仕者が配置されており、24時間プレアールームを維持するために日夜奉仕をしています。彼らはその奉仕をするために、献金によって生活をしています。ナイト・ウォッチには献身した大勢の若者がスタッフとして配置されています。彼らは一週間のうち少なくとも6日間、夜中の12時から朝6時までプレアールームで奉仕するため、生活のリズムを転換しています。この第三シフトで奉仕している彼らはの献身ぶりは本当に深いと思いますが、彼らは無給で奉仕しているのです。私がそこで出会った人たちは、本当に誠実で純真でした。彼らは来会者を心から受け入れ、歓迎してくれます。彼らの瞳は神への情熱で輝いており、誠実な心で互いに愛し合っています。
到着するとすぐ、私のところにナイト・ウォッチのリーダーであるスチュアート・グリーブスがやって来ました。彼は私に、ナイト・ウォッチの指導部に入ってほしいと頼んできました。指導部は約12名で構成されており、IHOPKCの夜中の12時から朝6時の部門に関して決定をくだす部署です。スチュアートは国際祈りの家の上級指導部の一人で、マイク・ビックルが最も信頼している同僚の一人でした。そういうわけで、私は光栄にもいきなり指導部に入ることになりました。
私は学生向けの海外宣教旅行、市内宣教旅行、祈祷会の指導、インターンクラスでのティーチング、スモールグループの指導、そのほか任意に発生する様々な仕事も任されました。もし読者が奉仕者になった経験があるなら、「任意に発生する様々な仕事」がどういうものか、お分かりいただけると思います。
私はIHOPKCのディレクターであるマイク・ビックルの終末論に夢中になり、「預言の歴史」と呼ばれるているものを何時間も聞きまくりました。このブログの中で「預言の歴史」という言葉が何度も出てきますので、これについて簡単に説明しようと思います。
つづく
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