渡辺明日香 霊的ブレは偶像崇拝レベル
以下の動画を見ていくと、5分くらいのところから、渡辺さんが天使に祈るように教え始めます。重大な祈りの課題は天の父に祈り、些細な課題は仕える霊である天使に祈るべきだというのです。
天使に祈るという行為が正しくないことは、まともな教会に行っている人なら誰でもわかるはずですが、聴衆のご婦人方はうなずきながら聞いています。
JPFB 10/24:渡辺明日香
追記:訳あって、リンク先は削除しました。
1)祈りは礼拝の一形態
マタイ6:9
だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
このようにイエスは、祈りと賛美の間に境界線を設けず、賛美も祈りであると見なしています。
そもそも祈りとは神に心を捧げることですから、その点で礼拝することとまったく変わりません。祈りが礼拝の一形態だと言われる所以はここにあります。
あるサイトは、天使に祈ることに関して次のように答えています。
答え: 「あなたがたは御使いに祈ってはならない」と明記している聖句は一つもありませんが、私たちが御使いたちに祈るべきではないことは極めて明白です。祈りは詰まるところ、礼拝の一形態です。そして、御使いたちが私たちに礼拝されることを拒む(ヨハネの黙示録 22:8-9)のと同様に、彼らは私たちの祈りも拒むはずです。礼拝や祈りを神以外の誰かに捧げることは偶像崇拝なのです。
(引用終わり、強調はダビデ)
引用サイト(日本語):
2)神以外への礼拝=偶像崇拝
出エジプト記20:4~5
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも・・・それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。
*天使は「上の天にあるもの」に含まれます。
ゆえにイエスは、堕天使であるサタンに対しても同じように答えました。
マタイ4:10
「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」
正しい天使は、礼拝されることを拒みます。
黙示録22:8~9
これらのことを聞き、また見たのは私ヨハネである。私が聞き、また見たとき、それらのことを示してくれた御使いの足もとに、ひれ伏して拝もうとした。すると、彼は私に言った。「やめなさい。私は、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書のことばを堅く守る人々と同じしもべです。神を拝みなさい。」(同19:10も参照)
3)御使い礼拝の問題点
参考文献
The MacArthur Bible Commentary
The New Living Translation Study Bible
コロサイ教会にもにせ教師たちが入り込み、偽りを教えていました。それに対してパウロは、こう言っています。
コロサイ2:18~19
あなたがたは、ことさらに自己卑下をしようとしたり、御使い礼拝をしようとする者に、ほうびをだまし取られてはなりません。彼らは幻を見たことに安住して、肉の思いによっていたずらに誇り、かしらに堅く結びつくことをしません。
「ほうびをだまし取られてはなりません」が意味するところは、地上での歩みを終えて天に凱旋できても、神から受けられるはずの永遠の褒美が減る、あるいはなくなる、ということを意味しています。
②肉の思いで高慢になっている
にせ教師たちは肉的な思いを持っていて、その思いのゆえに高慢になっていました。
③イエスに結びついていない
●まとめ
渡辺さんはコロサイ教会に忍び込んだにせ教師と同様の教えをしています。ですからそれを信じて、同じように行う人たちは永遠の褒美を奪われることになります。
天使が礼拝されたり祈られることを拒むとしたら、彼女の祈りに答えた、天使と呼ばれている霊的存在は何者でしょう?
愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。
第一ヨハネ4:1
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