ピーター・ワグナーと聖書観
NARを統括するリーダーは存在しないとのことですが、NARの名付け親であるピーター・ワグナーが理論面でのスポークスマンになっていることは確かです。
NARにはいくつかの特徴がありますが、その中でも、私が諸悪の根源と見なしている彼らの聖書観について考えたいと思います。
●聖書外啓示
以下のサイトは「カリスマ」という雑誌のウエブページです。ピーター・ワグナーによる「新使徒的改革はカルトではない」という記事を掲載しており、ここから「聖書外啓示」の箇所を抜粋します。
「新使徒的改革はカルトではない」
聖書外啓示。神は私たちと直接的な意思疎通をするという考えに、反対する人たちがいます。神が啓示したいと願ったことは、すべて聖書の中に啓示されていると考えているのです。しかしそれは、真実ではありません。なぜなら、聖書は66巻であると聖書の中に書いてないからです。実際、神は200年かけて、どの書を聖書に含め、どの書を除外すべきかを教会に決定させました。除外されたのが聖書外啓示です。しかしカトリックとプロテスタントは、依然として聖書の巻数について合意していません。それに加え、私は祈りが双方向のものだと信じています。私たちは神に語り、神は私たちに語ってくださると期待する、ということです。私たちは神の声を聞くことができます。神はまた、新しい事柄を預言者に啓示するのを私たちは見てきました。神からの新しい啓示を判別する主要な規則は、その啓示がすでに聖書に書かれていることと矛盾しないということです。しかし新しい啓示が、聖書を補足することはあるかもしれません。
(引用終わり)
●問題点
上記の説明で問題となるのは、「新しい事柄を預言者に啓示する」と「新しい啓示が、聖書を補足することはある」という部分です。
これは、聖書を神の唯一の啓示と見なしてはおらず、こんにちでも新しい真理が追加されうることを意味しています。これは実質的にカルトの条件の一つです。
新正統主義の聖書観。この聖書観は、実存主義哲学の影響を受けています。彼らは、聖書は神のことば(メシア)を証しするものであるが、過ちも含んでいると主張します。また、聖書の中から「神のことば」を見つけ出すことが人間の役割であり、そのためには、「神との出会い」が必要であるとも言います。聖書よりも、「神との出会い」体験を上に置くのが彼らの立場です。ただし、どれが「神のことば」であるかについて意見の一致がないのが問題です。
神秘主義的聖書観
神秘主義的聖書観。神秘主義の特徴は、聖書よりも経験を上に置くことです。彼らは、経験に合致するものは真理であり、そうでないないものは真理ではない、と主張します。また、聖書は神のことばではあるが、それ以外にも霊的真理はあると考えます。そのような霊的真理は、神秘的体験によって与えられるというのが彼らの主張です。(強調はダビデ)
●正しい聖書観
プロテスタントのクリスチャンが立つべき聖書観は、以下の正統主義です。
正統主義的聖書観
正統主義は、聖書以上に権威あるものが別にあるという考え方を否定し、聖書に最高の権威を認めます。これこそが聖書的立場です。以下の3点が正統主義の非常に重要な告白内容です。①聖書は、誤りなき神のことばである。②聖書の原典は、霊感を受けて書かれており、なんの誤りも含まない。③聖書は、信仰と生活に関する唯一で最終的な権威である。
(一部編集)
●まとめ
第二テモテ1:13~15
あなたは、キリスト・イエスにある信仰と愛をもって、私から聞いた健全なことばを手本にしなさい。そして、あなたにゆだねられた良いものを、私たちのうちに宿る聖霊によって、守りなさい。あなたの知っているとおり、アジヤにいる人々はみな、私を離れて行きました。その中には、フゲロとヘルモゲネがいます。
ピーター・ワグナーは、元フラー神学校の宣教学の教授です。フラー神学校の「信仰告白」には、聖書観について以下のように書かれています。
III. Scripture is an essential part and trustworthy record of this divine self-disclosure. All the books of the Old and New Testaments, given by divine inspiration, are the written word of God, the only infallible rule of faith and practice. They are to be interpreted according to their context and purpose and in reverent obedience to the Lord who speaks through them in living power.
3.聖書は、神による自己啓示の本質的な分部であり、信頼に足る記録である。旧新約聖書のすべての書は神の霊感によってもたらされ、文字として書かれた神の言葉であり、唯一の誤りなき信仰と生活の規範である。聖書は生ける力によってこれをお語りになった主に対する畏敬の念と従順の中で、文脈と目的に応じて解釈されるべきである。
どうやらワグナーは、キリスト教界の現象を調べていく中で、聖書よりも現象のほうを重視し始め、聖書観がズレてしまったようです。
今のワグナーは、第二テモテの「フゲロとヘルモゲネ」のように「健全なことば」から外れてしまっています。
昨今、カリスマ・ペンテコステ界で問題になっている様々な偽の教えの根源は、間違った聖書観に基づいています。
彼らの教えを信奉している日本のクリスチャンの多くは、行き着く先を知らずに信じ込んでいるのかもしれません。
気づいてみたらプロテスタントではなくカルト信者になっていた、ということにならないよう、間違った聖書観にたった教えを警戒し、見分けていきましょう。
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*「天使の羽について」の掲載で混乱があるようです。以下が正しいアドレスです。