ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

世俗的なクリスチャンであることを示す10のしるし

 
 カリスマニューズから、世俗的なクリスチャンの特徴を説明している記事を掲載します。
 
1.主の御心を求めずに大きな決断をするクリスチャン
 
 結婚や引っ越し、転職、転会など、大きな決断をする際に、神の意向を伺うことなく、まるで無神論者のように決めてしまうクリスチャンが大勢います。教役者の知恵を仰ぐこともなく、聖書を調べることもしません。
 
2.神がどう思うかよりも世間体を気にするクリスチャン
 
 箴言910には「主を恐れることは知恵の初め」とありますが、セルフコンシャスなご時世にあっては、主を恐れることよりも、外見や世間体、友人にどう思われるかを気にするクリスチャンがいます。神がどう思うかよりも人目を優先する人は、世俗的なクリスチャンです。
 
3.聖霊ではなくお金に導かれているクリスチャン
 
 神の御心よりもお金を優先する人は、世俗的なクリスチャンです。自称クリスチャンが仕事で忙しすぎるのは、収入のほうを優先しているからです。この手のクリスチャンは、教会活動にほとんど参加しません。しかしイエスは、「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」と言っています(マタイ633)。
 
4.社交目的で教会に来るクリスチャン
 
 世俗的なクリスチャンが教会に出席する第一の理由は、友人に会うことです。一方、真のキリストの弟子は神との交わりを目的にしており、聖徒の交わりをとおして御霊の語り掛けに耳を傾けます。 
 
5.この世の風潮をまねるクリスチャン
 
 世俗なクリスチャンはこの世の価値観に基づいてデートをします。婚前交渉もアリです。服装や音楽、言葉遣いもこの世的です。英語のことわざに、「アヒルのような外見で、アヒルような鳴きかたをする鳥は、アヒルなのだ」とあるとおりです。内面においてこの世の価値観を大切にしているので、それが表にも現れるのです。
 
6.神を心の片隅に追いやっているクリスチャン
 
 コロサイ31には「あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい」とありますキリストの弟子は、神を心の片隅に追いやりません。かえってキリストを心の中心に据えています。
 
7.神追求型のライススタイルから外れているクリスチャン
 
 世俗的なクリスチャンでも、時には人生の祝福を求めて祈ることはあるかもしれません。しかし神の御顔を慕い求めて祈ったり、聖書に答えを見出そうとする習慣がありません。
 
8.周囲の人に福音を伝えていないクリスチャン
 
 世俗的なクリスチャンには、救霊の重荷がありません。過去に、ひとりも救いに導いないことも珍しくありません。なぜならこの世的な思いに浸りきっていて、永遠について考えないからです。悲しいことに、家族や友人、同僚すらも、その人がクリスチャンであることに気づいていないことすらあります。
 
9.弟子作りをしていないクリスチャン
 
 こんにちのキリスト教界には、信仰歴が長いのに、弟子作りに時間を費やしてこなかったクリスチャンが大勢います。若いクリスチャンをメンタリング(コーチング)したり、誰かの霊的成長を助けたことがないクリスチャンは、イエス大宣教命令に従っているとは言えません(マタイ2819)。牧師や長老の肩書を持っていても、弟子作りをしているとは限りません。
 
10.経済生活が聖書に基づいていないクリスチャン
 
 自分のお金は神のものだと信じていないクリスチャンが大勢いるのは悲しいことです。そういうクリスチャンは、都合がいいときにしか献金しません。人生の管理者は神でなく、自分自身です。たとえ十一献金をしていても、10%だけでなく、収入のすべてが神の恵みであることを知る必要があります。まるで自分のものであるかのようにお金を使っているなら、聖書的な金銭管理ができておらず、世俗的なクリスチャンのように振る舞っているのです。
 
 
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引用元:カリスマニューズ