人間の無能力
人の心は何よりも陰険で、それは直らない。エレミヤ17:9
自由意志は人間の特徴である。人間はみな、何をするかについて自分で決定するという意味で、自由意志を持つ存在だ。
自らの善悪の観念に基づき、自分が好ましいと思うとおりに選択する。そういう意味で人間は道徳的な存在であり、自分の意志による選択について神の前に責任を問われる。
この点について、アダムも同様であった。堕落する前であっても後であっても変わりはない。現代の人間も同じである。(中略)
アウグスチヌスはペラギウスに反対し、原罪が自由意志の機能を奪ったと主張した。生まれながらの人間は、神の道を認識したり、神の道を選択する能力がない(無能力)。なぜなら生まれながらの人間は、神を求める方向に傾くことがないからである。
神を求める人はいない。ローマ3:11
人の心は罪の奴隷になっており、恵みによって新生しない限り、奴隷状態から解放されることはない。パウロはこのことについて、ローマ6:16~23で教えており、自由にされた意志だけが義を選択できると述べている。
このように、義を愛すること、すなわち、神を喜ばせる生活に心が傾くことは、キリストによって自由にされた者の特徴である(ヨハネ8:34~36、ガラテヤ5:1、13)。
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J・I・パッカー「コンサイス・セオロジー」P85~P86