ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

ハウスチャーチの集会って、どんな感じ?

以下の文章は、The Priesthood of ALL Believers, Milt Rodriguez, P111~P114からの抜粋です。

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その家の玄関を入ると、一人の兄弟が笑顔であなたを迎えてくれます。彼は両腕を広げて、あなたをハッグしてくれました。

リビングルームに入ると、12人くらいの人たちが集まっています。みな雑談しています。笑い声も聞こえてきます。ずいぶんと楽しい時間が流れているようです。

二人の姉妹たちが賛美をし始めました。はじめは他の人たちは気付きませんでした。おしゃべりで夢中なようです。

そこへもう一人の姉妹が賛美に加わり、さらにもう一人。すると、周りの人たちが静まり始めました。そして一人また一人と歌い始めます。

ある兄弟は、ギターを手にとって弾き始めました。別の姉妹は、オートハープで合わせます。すると部屋にいる全員が声を上げて主を賛美し始めました。

立ち上がり、手を挙げている兄弟たちもいます。他の姉妹たちはソファーに座り、互いの肩に腕を回して左右にゆれています。そしてひとり一人の顔がだんだん上に向いていきます。

賛美の合間に、主をたたえる言葉が囁かれています。聖徒たちは、キリストの偉大さをたたえ始めました。室内は主の臨在で満ち、みな涙を禁じえません。主の愛と力があなたを包んでいます。このままずーっと賛美していたい、主を礼拝していたい、そんな雰囲気です。みなが祭司として神に仕えているのです。


誰かがもう一曲賛美し始めると、あなたの霊は主の平安で満たされました。あなたの思いは、ひたすら神に向いています。一日のストレスや張り詰めていた心がすべて消えてゆき、あなたは理解を超えた平安の中で憩います。

静けさの中で、誰かがやさしく預言を語り始めました。慰めと励ましの言葉が全体に語られます。

ある姉妹は、別の姉妹のところまで行って彼女の肩に手を置くと、慰めと啓発の言葉を語り始めました。キリストこそが、あなたの慰めであると言っています。

ある兄弟は聖書を開いて聖句を朗読しました。別の姉妹は賛美を歌い始めました。この賛美は、はじめて耳にする曲です。というのも、それは預言による賛美だからです。賛美の中で、彼女はキリストの十字架の勝利を語っています。

すると突然、みなが拍手をし始め、叫びながら主の栄光ある勝利をたたえ始めました。部屋全体が喜びと勝利の言葉で沸き返っています。それが静まると、少しずつ座り始めました。

一人の姉妹が、その週に体験した主のみわざを証し始めました。それに続いて、何人かの人たちが、数日前に起こった主にある事柄を分かち合っています。

今度は、三人の姉妹たちが立ち上がりました。そして何日か前に神さまから与えられた賛美を歌い始めました。それが終ると、別の兄弟が、みんなが知っている賛美の曲を歌い始めました。


ある姉妹は、霊的に何か示されたようです。別の姉妹のために全員で祈るよう、主が望んでおられるようです。みな立ち上がり、その姉妹の周りに集まって祈り始めました。ある兄弟は、その姉妹に、勧めと知恵の言葉を語りました。別の姉妹は、彼女の心にいやしが与えられるよう祈りました。聖霊が、その姉妹の深い部分に触れてくださったことが、はっきりと見て取れました。さらに何人かの祈りが続けられ、最後は何人かの人たちが彼女を抱きしめてあげていました。


今度は、ある夫婦が祈りを求めています。みなは二人の周りに集まり、賛美を一曲歌いました。奥さんのほうは涙を流しています。姉妹たちは彼女の手を握り、祈り始めました。ひとり一人の祈りの言葉をとおして、イエス・キリストが表れています。これは人が計画した奉仕ではありません。キリストが中心に据えられており、全員の意識はキリストに向いています。すべての栄光がキリストに捧げられています。みなの気持ちがキリストに向いているのです。その夫婦は、真実ないやしを受けることができました。なぜなら二人をいやし始めたのは、人ではなくキリストだったからです。


集会の中では、誰かの個人的問題が話題の中心にされたり、分析されることは決してありません。なぜならこれはカウンセリングのセションではないからです。集会は、教会に対する、キリストご自身による奉仕です。教会自身が、愛によって自分を建て上げているのです。

一人の姉妹が賛美を導き、みなが加わりました。短く、一人の兄弟が聖句から語られたことを分かち合います。別の兄弟が、別の賛美を導きます。全員が立ち上がり、腕を組み合ってアメイジング・グレイスを歌いました。

集会は終わり、おしゃべりしながらひとり一人家路につきました。

素晴らしい集会ではありませんか。しかしこれは、特別な集会ではありません。いつもこのような感じなのです。


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訳注:私が集っているハウスチャーチも上記と酷似しています。違う点といえば、ハッグがないことと、人数が半分くらいだということくらいです。



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