ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

ハウスチャーチ・レポート(今回で第4回目の集会)

いやぁ~驚いた。That was great!
今日のHCの集会は驚きでした。聖霊の働き、炸裂!という感じです。

●賛美
今日は、私、ダビデが、ネットオークションにて破格値で買ったOHPを持ち込んだ。
歌詞を部屋の白壁に投影して、みんなで賛美。

さらにTちゃんも、自作の賛美をご披露。
神さまから「パッ」と与えられたそうだが、とても素人とは思えないいい曲。

みんなが主を礼拝し、盛り上がったのはよかったのだが、
閑静な住宅地での夜の集会なので、ちょっと騒音を出したかもしれない。
この点は、反省事項。

●木の話
分かち合いのときに、T姉妹がとても印象に残る話をしてくれた。

最近、父親の看病で病院へ行ったとき、窓から1本の大きな木が見えたそうだ。
見ていると、その木がまるでハウスチャーチのように感じられた。

一本の太い幹があり、上のほうにたわわに枝葉がついた完全な木。
幹がイエスさまで、ひとり一人が枝葉。

枝葉はたくさんついているのだが、全員にまんべんなく光が当たるように、
うま~く位置づけられている。

風が吹くと枝葉が揺れる。
一枚一枚の葉を見るとバラバラに動いているようだが、
ひとり一人がイエスさまにつながっているので、
全体としては調和がとれた動きをしている、とのこと。

エスさまも聖書の中で、いつも自然界のものを例にとってみことばを語られたが、
この木の話も実にオーガニックで、インスピレーションを感じさせられた。

●一致の話
するとTちゃんが、アメリカ時代の体験談を話してくれた。
はじめて聖書研究の導きを頼まれたときのこと。

聖研でTちゃんが話し始めると、集まっているひとり一人から、光のようなものが出ている感じがしたそうだ。その光が、集会の輪の中心に向かって行き、真ん中で重なるのが見えた。

ひとり一人がイエスさまを求め、イエスさまだけを見ているなら、クリスチャンは霊的に一致することができる、ということをこの体験から教えられたとのこと。

この証もまた、メッセージ性に富んでいると思った。

●P兄に起こった心の解放のわざ
分かち合いが終り、ぼくらは互いのために祈ることにした。
P兄がリクエストを出したので、みんなで彼に手をおいて祈ったのだが、
祈っていると、突然、彼がブワッと泣き出した。
しかも、結構激しく。

P兄はいつも客観的で安定感があり、落ち着いたタイプ。
両親はクリスチャンで、愛されて育ったオーストラリア人青年。
大学で英語を教えている。

いったい祈られている間に何が起こったのかを聞いてみたところ・・・

「ぼくは聖霊に満たされたんだ。
そしたら心を覆っていたものが壊されて、内側にあった孤独などが出て行った」とのこと。
「ぼくは絶対泣かないんだけどなぁ」とP兄。

●Tちゃんも
P兄が、ほかの人の課題のためにも祈ろうと言うので、祈り始めた。
導かれるまま祈っていると、ぼくはTちゃんのために祈りたくなったので、祈り始めた。

すると、今度はTちゃんに何か起こり始めた。
どうやらTちゃんも聖霊に触れられて、心がブワッとなったようだ。
じゅうたんの上にひれ伏して、泣きながらみんなからの祈りを受けていた。

どうやら聖霊は、ひとり一人を整えているようだ。
これからが楽しみ。

●主の晩餐
T姉妹が使徒の働き3:46から語り掛けを受け、主の晩餐の準備に重荷が与えられた。

「来週は、私が何かおかずを作って来ます」とT姉。
するとP兄が、「じゃあ、ぼくはごはん炊いておくよ。」
「みんなで何か持ち寄ればいいよ」とTちゃん。

というわけで、来週はみんなで何か持ち寄って、主の晩餐をすることになった。

●評価と今後の課題
*今回は、みんなで歌える共通の賛美が少ないという課題が改善され始めた。
 新曲も2曲、みんなで覚え始めた。うち一曲はメンバーの自作。

聖霊の賜物が動き始めた。
 P兄ために祈っていたとき、「ぼくは理解されていない」という言葉(思い)が私に与えられた。それを告白し、祈りのうちに十字架に付けるよう導かれた。聖霊がP兄の心の叫びを知らせてくれたように感じた。

実際、祈りのあとに、P兄が心の中から孤独が出て行った、と語っていたので、聖霊の賜物、おそらく知識の言葉あたりが働いたと思われる。

*今回は賛美が盛り上がって騒音を出してしまったようなので、次回は少し抑えたい。

*分かち合いの中で、めいめいが思いついたことや体験したことを自由に語っているのだが、その中に聖霊による一致したテーマが浮き上がって来るのがなんとも面白い。実にオーガニック。

今回は、調和とか一致ということに関して、イエスさまが語ってくれたように思う。奇しくも、ディノミネーションのことをブログで書いた直後だったので、私にとっては大いに主の語り掛けを感じた。

*全体に、人が導いているのではなく、キリスト(聖霊)が集会のかしらとして働いているのを感じる。
 主に栄光。神に感謝。

 
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