ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

教会の建て方/維持の仕方

今、自分たちが属しているハウスチャーチは、いい感じで進んでいると思う。
まだ始まったばかりだが、今の段階で一番恐れているのは、教会が神のみこころから逸れることだ。

●教訓
ぼくが以前所属していた教会-それはハウスチャーチではなく組織的な教会だが-は、神の声に聞き従うことに関して、とても熱心であった。

指導者たちは、兎にも角にも、神に聞き従おうとしていた。
朝早くから起きて一日に何時間も祈り、聖書を何章も読み、とにかく神の語り掛けを聞こうとしていた。

しばらくの間は、いい教会だと思っていた。おかしなところなどないと思っていた。
外部からも説教者が頻繁に来ていたし、牧師たちはそういったゲストスピーカーの言うことに耳を傾けていた。

しかし振り返ってみると、教会数が増え、組織化が進んでからおかしくなってきた。
ゲストスピーカーはほとんど招かなくなった。
自グループ内の決まった牧師だけが巡回して説教をするのがお決まりになっていった。

指導者たちは、いまでも熱心に、忠実に、正確に神の声に聞き従おうとしているはずだ。
なのに、自分たちの間違いや問題には一向に気付かない。

これが一番怖い。

ぼくがそのグループの過ちから学んだことの一つは、
神の声を聞くには、ただ祈って聖書をディボーショナルに読むだけでは、神のみこころを十分に捉えられないということだ。

聖書は研究する必要がある。いろいろなキリスト教書を読み学ぶ必要がある。
また自分たち以外の教会、外部のクリスチャンたちの声にも耳を傾ける必要がある。
なぜなら、それが神の語り方だからだ。

以前属していたグループの弱点は、
指導者たちは祈りと奉仕で忙しく、聖書を研究する時間が少なかった。
研究するよう指導していなかったし、研究の方法に至ってはほとんど教えていなかった。

そして他の教会と関わりをほとんど持たないために、外部の兄弟姉妹たちの語ることに耳を貸す機会が少なかったということだ。

●教会の建て方
聖書は、明らかに教会の建て方に注意を促している。

「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。」詩篇127:1

「わたしが、わたしの教会を建てる」マタイ16:18(英訳)

「私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。私たちは・・・土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。・・・その土台とはキリストです。」汽灰螢鵐硲魁В后腺隠院  |蹇А峪笋燭繊廖畛氾未箸修琉豺


上記の聖句だけでも十分わかることは、教会を建てるのはキリストご自身だということだ。


●教会は「生まれる」もの
聖書を学ぶことによって、教会に必要な要素はわかる。しかし聖書は、お手軽な教会設立マニュアルではない。なぜなら教会は生き物であって、そのかしらはキリストであるから、人間には教会を建てることも、維持することもできない。人を集めて、聖書の原則通り集会を行なってもだめだ。教会は、(人が)建てるものではなく、生まれるものだからだ。

従って、教会を建てるに当たっては、聖書を参考にして聖書の原則から逸れることがないようすることはもちろん大切だが、一番重要なのは、かしらなるキリストに聞き、キリストに建てさせるということだ。彼の時と彼の方法、彼の導きにすべてを任せなければならない。自分の都合のよい方法で、都合の良いときに作ることなどできないのだ。

●健全な教会の必須条件
また教会が健全に成長するためには、所属する兄弟姉妹ひとり一人が、神に忠実に従わなければならない。(パウロたち、建築家だけが忠実なのでは不十分だったので、コリントの教会をはじめ、聖書中の諸教会に様々な問題が起こった。)

教会に起こる諸問題に関して、聖書が提示している解決方法を一言でいうなら、兄弟姉妹ひとり一人が神に従うということである。なぜなら、教会とは兄弟姉妹たち自身であって、こんにちのように牧師に管理される組織ではないからだ。聖書に描かれている教会は、あくまで自治コミュニティーである。

従って、兄弟姉妹がキリストの身丈にまで成長するよう整えが必要で、それが健全な教会として成長することの要であると言えるだろう(エペソ4:11~15)。



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