Ⅰコリント11:10の意味
これは、以下の論文の一部を翻訳したものです。
'Because of the Angels': Unveiling Paul's Anthropology in 1 Corinthians 11
Jason David BeDuhn
1Co 11:10
ですから、女は頭に権威のしるしをかぶるべきです。それも御使いたちのためにです。
(この御言葉を通して)パウロが言わんとしていることははっきりしています。女性は、自分たちの頭に関して、権威を持つべき、つまり、権威を行使するべきだということです。(この御言葉に使われているギリシャ語)エクソウシアの意味は、女性が権威の行使権を有しているという意味しかありえません。「女性の頭は、他者の権威の下にある」という考え方は、言語学的に根拠がありません。ギリシャ語の文献の中で、エクソウシアに、「他者の権威のしるし」という意味があることが証明されていないからです。パウロは常に、「誰かに属している権威」という意味でエクソウシアを使っています。「個人の権利」「行動する自由」「物や人や状況に対する個人の支配権」また「そういう権威を行使する人の肩書きに属する権利」という意味です。
中略
汽灰螢鵐硲隠云呂硫鮗瓩里曚箸鵑匹、言語学的真意と正反対に解釈されています。しかしそのような解釈はありえないのです。従って、たとえ理解が困難であっても、私はこの単語の言語学的真意を強調しなければなりません。
汽灰螢鵐硲隠院В隠阿離┘ソウシアの意味は、個人が有する権利や権威を意味するものであって、他者に服従するという意味ではありません。このことは、パウロが同じ聖句の中で、「~すべき」という意味のオフェイロを使っていることが裏付けになります。このオフェイロには、「自分の義務を果たす」「自己責任において行動する」という意味があり、責任とか義務、義理という意味を持つ動名詞とともに使われます。ですからパウロが10節で使っている言葉は、議論されているテーマに関して「女性たちが責任を持っている」という意味でしか、読み手に受け取れないものなのです。
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●まとめ(byダビデ)
上記の論文に基づくと、11:10は以下のような文になります。
「ですから女は、御使いたちのゆえに、頭に関して権利を持つべきです。」
ちなみに、欽定訳聖書は、もともとこれとほぼ同じように訳しています。
For this cause ought the woman to have power on [her] head because of the angels.
これを新改訳の本文に組み込むと以下のようになります。
1Co 11:5 しかし、女が、祈りや預言をするとき、頭にかぶり物を着けていなかったら、自分の頭をはずかしめることになります。それは髪をそっているのと全く同じことだからです。
1Co 11:6 女がかぶり物を着けないのなら、髪も切ってしまいなさい。髪を切り、頭をそることが女として恥ずかしいことなら、かぶり物を着けなさい。
1Co 11:7 男はかぶり物を着けるべきではありません。男は神の似姿であり、神の栄光の現われだからです。女は男の栄光の現われです。
1Co 11:8 なぜなら、男は女をもとにして造られたのではなくて、女が男をもとにして造られたのであり、
1Co 11:9 また、男は女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです。
1Co 11:10 「 ですから女は、御使いたちのゆえに、頭に関して権利を持つべきです。」
1Co 11:11 とはいえ、主にあっては、女は男を離れてあるものではなく、男も女を離れてあるものではありません。
1Co 11:12 女が男をもとにして造られたように、同様に、男も女によって生まれるのだからです。しかし、すべては神から発しています。
1Co 11:13 あなたがたは自分自身で判断しなさい。女が頭に何もかぶらないで神に祈るのは、ふさわしいことでしょうか。
1Co 11:14 自然自体が、あなたがたにこう教えていないでしょうか。男が長い髪をしていたら、それは男として恥ずかしいことであり、
1Co 11:15 女が長い髪をしていたら、それは女の光栄であるということです。なぜなら、髪はかぶり物として女に与えられているからです。
1Co 11:16 たとい、このことに異議を唱えたがる人がいても、私たちにはそのような習慣はないし、神の諸教会にもありません。
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依然として難解ですが、当初に比べれば、パウロが女性に対して一定の権利を認めているニュアンスが感じられると思います。
'Because of the Angels': Unveiling Paul's Anthropology in 1 Corinthians 11
Jason David BeDuhn
1Co 11:10
ですから、女は頭に権威のしるしをかぶるべきです。それも御使いたちのためにです。
(この御言葉を通して)パウロが言わんとしていることははっきりしています。女性は、自分たちの頭に関して、権威を持つべき、つまり、権威を行使するべきだということです。(この御言葉に使われているギリシャ語)エクソウシアの意味は、女性が権威の行使権を有しているという意味しかありえません。「女性の頭は、他者の権威の下にある」という考え方は、言語学的に根拠がありません。ギリシャ語の文献の中で、エクソウシアに、「他者の権威のしるし」という意味があることが証明されていないからです。パウロは常に、「誰かに属している権威」という意味でエクソウシアを使っています。「個人の権利」「行動する自由」「物や人や状況に対する個人の支配権」また「そういう権威を行使する人の肩書きに属する権利」という意味です。
中略
汽灰螢鵐硲隠云呂硫鮗瓩里曚箸鵑匹、言語学的真意と正反対に解釈されています。しかしそのような解釈はありえないのです。従って、たとえ理解が困難であっても、私はこの単語の言語学的真意を強調しなければなりません。
汽灰螢鵐硲隠院В隠阿離┘ソウシアの意味は、個人が有する権利や権威を意味するものであって、他者に服従するという意味ではありません。このことは、パウロが同じ聖句の中で、「~すべき」という意味のオフェイロを使っていることが裏付けになります。このオフェイロには、「自分の義務を果たす」「自己責任において行動する」という意味があり、責任とか義務、義理という意味を持つ動名詞とともに使われます。ですからパウロが10節で使っている言葉は、議論されているテーマに関して「女性たちが責任を持っている」という意味でしか、読み手に受け取れないものなのです。
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●まとめ(byダビデ)
上記の論文に基づくと、11:10は以下のような文になります。
「ですから女は、御使いたちのゆえに、頭に関して権利を持つべきです。」
ちなみに、欽定訳聖書は、もともとこれとほぼ同じように訳しています。
For this cause ought the woman to have power on [her] head because of the angels.
これを新改訳の本文に組み込むと以下のようになります。
1Co 11:5 しかし、女が、祈りや預言をするとき、頭にかぶり物を着けていなかったら、自分の頭をはずかしめることになります。それは髪をそっているのと全く同じことだからです。
1Co 11:6 女がかぶり物を着けないのなら、髪も切ってしまいなさい。髪を切り、頭をそることが女として恥ずかしいことなら、かぶり物を着けなさい。
1Co 11:7 男はかぶり物を着けるべきではありません。男は神の似姿であり、神の栄光の現われだからです。女は男の栄光の現われです。
1Co 11:8 なぜなら、男は女をもとにして造られたのではなくて、女が男をもとにして造られたのであり、
1Co 11:9 また、男は女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです。
1Co 11:10 「 ですから女は、御使いたちのゆえに、頭に関して権利を持つべきです。」
1Co 11:11 とはいえ、主にあっては、女は男を離れてあるものではなく、男も女を離れてあるものではありません。
1Co 11:12 女が男をもとにして造られたように、同様に、男も女によって生まれるのだからです。しかし、すべては神から発しています。
1Co 11:13 あなたがたは自分自身で判断しなさい。女が頭に何もかぶらないで神に祈るのは、ふさわしいことでしょうか。
1Co 11:14 自然自体が、あなたがたにこう教えていないでしょうか。男が長い髪をしていたら、それは男として恥ずかしいことであり、
1Co 11:15 女が長い髪をしていたら、それは女の光栄であるということです。なぜなら、髪はかぶり物として女に与えられているからです。
1Co 11:16 たとい、このことに異議を唱えたがる人がいても、私たちにはそのような習慣はないし、神の諸教会にもありません。
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依然として難解ですが、当初に比べれば、パウロが女性に対して一定の権利を認めているニュアンスが感じられると思います。