ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

十字架がもたらす普遍的な恵み その4

すべての人々の救い主

「私たちはそのために労し、また苦心しているのです。それは、すべての人々、ことに信じる人々の救い主である、生ける神に望みを置いているからです。」Ⅰテモテ4:10

この聖句の「救い主」という表現は、魂の救い主という意味を超えた、もっと広い意味で使われています。理解の鍵は、「救い主なる神」というフレーズにあります。
 
魂の霊的な救いの意味で「救い主」が使われる場合、通常、その言葉は「キリスト」と共に使われます(例:テトス1:4、3:6)。

しかしパウロはテモテとテトスへの手紙において、「救い主なる神」というフレーズを合計6回使い、万物の根源である父なる神、一般的な恩恵をすべての人に注いでいる親切な父なる神を強調しています。このフレーズは、Ⅰテモテ1:1、2:3、4:10、テトス1:3、2:10、3:4で登場しています。

冒頭のⅠテモテ4:10にも、大きな尺度で恵みを与える父なる神への言及がなされています。
 
「すべての人々、ことに信じる人々の救い主」という部分を考えると、神はすべての人々に対して一般的な恩恵を与えるお方で、特に信者に対しては、一般的な恩恵だけでなく霊的な恵みもダブルで与えているとパウロは述べているのです(注)。「ことに」という副詞が、このダブルの側面を表すために使われています。

注:一般恩恵については、「十字架がもたらす普遍的な恵み その2」を参照してください。http://blogs.yahoo.co.jp/psalm8934/27300297.html

●文脈
10節前半に「私たちはそのために労し」とありますが、「そのため」は9節の「このことば」を指しています。さらに「このことば」は、8節の「肉体の鍛錬もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です」を指しています。

「肉体の鍛錬」は、この世での生活における一時的かつ肉体的な益をもたらします。これに対して、敬虔はこの世での信仰生活と天国における永遠の生活の両方に有益だと教えています。

この8節における「一時的かつ肉体的な益」と「それ+霊的で永続的な益」の対比は、10節の「すべての人の救い主」=一時的物質的恵みの与えぬしと、「ことに信じる人々の救い主」=一時的物質的恵み+霊的永続的恵みの与えぬしの対比で説明されています。

パウロは、未信者も信者も愛する神、ことに信者には、一時的恵みに加えて永続的な恵みも与えてくださる神に信頼しているので、「敬虔」のために労しているのだとテモテに説明しているのです。

●まとめ
神は信じない人々をも愛し一時的な恵みを与えてくださるお方ですが、私たち信者に対しては、一時的+永続的なダブルの恵みを与えてくださっているのです。ありがたいですね。