十字架がもたらす普遍的な恵み その3
福音の普遍的な提示
「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」マルコ16:15
十字架がもたらすもう一つの普遍的な恵みとして、福音の普遍的な提示があります。
福音を差別なく誰にでも伝えるべきであることは、通常、当たり前のことと思われており、福音を聞けること自体は特に恵みだとは考えられていません。救いにつながってはじめて、恵みに預かったと認識されてます。
しかし旧約時代に神の言葉がユダヤ人にしか伝えられていなかったことを考えるなら、人種の区別なく普遍的に福音(神の言葉)を聞けることは、恵みと言わざるを得ません。イエスの十字架以前は、十戒ですら私たち異邦人には伝えられていませんでした。
確かにこれまで学んできたように、救いに選ばれていない人は福音を聞いても信じません(使徒13:48、Ⅰコリント1:18、Ⅱテサロニケ2:10)。ですから、永遠の救いという観点においては、その人たちに福音を伝えても益にはなりません。
しかし使徒13:46でパウロは、トルコに離散していたユダヤ人たちに「神のことばは、まずあなたがたに語られなければならなかったのです」と言っています。選民がまずはじめに福音に預かるべきだったということです。つまり福音を聞けるということは霊的な特権なのです。たとえ救いにつながらなくても(実際、そのユダヤ人たちは福音を拒み、「自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者と決め」ました。)それでも、福音を聞けるだけで祝福なのです。
相手が信じる信じないを問わず、誰かに福音を伝えるなら、それはその人に神の祝福をもたらしたことになるのです。