ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

十字架がもたらす普遍的な恵み その2

一般恩恵

「ノアは、主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。主は、そのなだめの香りをかがれ、主は心の中でこう仰せられた。『わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。』」創世記8:20~22

一般恩恵とは、上記の箇所にあるような①人や動植物などを滅ぼさず、生命を一定期間保持することや②季節の変化、食物の付与、生活環境の維持など、誰もが普遍的に受けている恵みのことを言います。この一般恩恵は、救いに定められているかどうか、また人間かそれ以外の動植物かなどは無関係に与えられる一時的な恵みです。創世記9章に「すべての生き物」(12、15節)や「地上のすべての肉なるもの」(16、17節)を大洪水で滅ぼさないと神が約束しておられるとおりです。

この恩恵が与えられることになったのは、8:20でノアがささげた全焼のいけにえから立ち上る「なだめの香り」を神がかがれたことと関連しています(8:21)。そしてこの全焼のいけにえは、イエスの十字架の予型だと考えられています。

その理由は、エペソ5:2でパウロが「キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました」と述べていますが、この「香ばしいかおり」という表現が、70人訳聖書(注)の創世記8:21の「なだめの香り」とまったく同じギリシャ語が使われているからです。パウロは意識的に同じギリシャ語を使い、ノアがささげた全焼のいけにえがキリストの十字架の予型であったことを示唆していると言われています。

注:70人訳聖書とは、旧約最古のギリシャ語聖書を言います。

マタイ5:45でイエスが「天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです」と述べているように、神のご性質としての寛容、愛、親切、善意などから来る恵みが、人の罪のゆえにとどめられてしまうことなく無条件に注がれるている理由は、キリストが十字架において人の罪に対する神の怒りを緩和し、この一時的な恵みを被造物のために獲得してくださったことによると思われます。この意味でキリストの十字架は、数千年にわたり被造物に普遍的な恩恵をもたらしてきたと言えます。