ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

十字架がもたらす普遍的な恵み その1

神と万物の和解

「(神は)その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださいました。」コロサイ1:20
 

「選ばれた人々」「限定的な贖い」「なだめの供え物」と、これまでイエスの十字架における限定的な側面ばかりを見てきましたが、最後に普遍的な側面を見たいと思います。

上記の聖句から学ぶ前に確認しておかなければならない点があります。新改訳聖書のこの箇所の翻訳は、一箇所正しくないところがあります。以下の口語訳と新共同訳を参照していただくとわかりますが、「御子のために和解させて」という部分は、「ご自身に和解させて」と訳すべきです。

この部分に当たるギリシャ語を直訳すると、「彼の中へと和解させた」となります。新改訳聖書は「彼」を御子と解釈していますが、Ⅱコリント5:19の「神は、キリストにあって、この世界をご自分と和解させ」を見ればわかるとおり、神は万物を自分自身と和解させたのです。ですから口語訳や新共同訳は、次のように訳しています。

口語訳コロサイ 1:19~20
神は、御旨によって、御子のうちにすべての満ちみちた徳を宿らせ、そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。

新共同訳コロサイ 1:19~20
神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。

●コロサイ1:20
上記の聖句で述べられている「天」は、言語では複数形です。複数形が使われている意味は、「天」という表現が、いわゆる天国だけでなく、地球の大気圏や宇宙全体も表しているからだと思います。神は、イエスの十字架によって地球上と宇宙と天にあるすべてのものをご自分と和解させたのです。

聖書は万物の和解について多くを語っていませんので、万物が神と和解するということが具体的にどういう現象なのか明確にはわかりません。
 
神と人の場合は、罪に対する神の怒りの除去と罪そのものの除去が十字架で行われ和解ができたわけですが、宇宙の天体や地上の動植物が神と和解する前と後とで、具体的にどういう変化があったのか、あるいは次の時代になって神の国が到来するときにどういうことが起こるのかについて、聖書は詳細には言及していません。
 
しかしアダムが神に逆らった瞬間、すべての被造物が共に多大な悪影響を受けたこと、また人と神の関係だけでなく、他の被造物と神の関係にも亀裂が入ったことは確かです。
 
ローマ8:20はこのことを指して、「被造物が虚無に服した」と述べています。そしてその亀裂をイエスの十字架が修復したことが、万物と神の「和解」なのだと思います。

この意味でイエスの死は選ばれた人々のためだけでなく、「滅ぼされるべき怒りの器」(ローマ9:22)と呼ばれている人々のためでもあり、空を飛んでいる鳥や昆虫たちのためでもあり、海の中の魚たちのためでもあり、太陽や月や星のためでもあったわけで、まさに普遍的な功績です。

●ローマ8:19~23
神と万物の和解は、下記のローマ8:19~23と関係があります。
 
「被造物も、切実な思いで神の子どもたち現れを待ち望んでいるのです。それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。」

Ⅱコリント15:51~53およびⅠテサロニケ14:16~17から、イエスが教会を携挙するために地球に戻ってくるとき、私たちの肉体は朽ちることのない栄光の体、御霊の体に変えられることがわかります。これはイエスの復活の体と似たものだと考えられます。イエスは「初穂」だからです(Ⅰコリント15:20)。「初穂」ということは、今後、同じような収穫があることを示しています。それが私たちです。
 
ローマ8:19の「神の子どもたちの現れ」とは、栄光の体に変えられた信者たちの現れのことです。この肉体の栄光化が「からだの贖われること」であり、救いの最終的な完成です。不思議なことですが、万物は「切実な思いで」、私たちの救いの完成を待ち望んでいるのです(ローマ8:19)。

このように神の救済計画は、私たちの魂の救いを遥かに超えた、壮大なスケールで企画されています。神のなさることを、私たち人間は計り知ることはできません。そのような大いなる神の栄光を讃えるばかりです。