ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

救いから現在に至るまでの大まかな証し

学生時代のこと、
私が通っていた大学に、
キャンパス・クルセード・フォー・クライストという、
学生伝道専門の、アメリカの宣教団体のスタッフ
(宣教師たち)が伝道に来てくれました。

私は英会話をしたくて彼らに近づき、友達になりました。
最初の半年間くらい、私は福音に反発していたのですが、
彼らが、自分にはない、何か暖かいものを持っていることに気付きました。

また、キリストの十字架を信じたことによって、
罪の問題が解決されたと、彼らが口をそろえて証しするのを聞き、
自分も罪から解放されたくなりました。

しかし理屈屋の私は、
キリストの復活がどうしても信じられず、
そこが引っかかりました。

すると宣教師の一人が、
エスの復活は歴史的な事実である、ということが書かれている、
英語の雑誌を読ませてくれました。
それを読んで私は納得がいき、信じることにしました。

宣教師のアパートで、1983年6月4日、
土曜日の夜中の12時ごろでしたが、
エスを受け入れてはどうかと、宣教師から勧められました。

その時に、
誰かが~イエスさまですが~自分の目の前におられる感じがして、
ことわることができませんでした。
誰かが愛のまなざしをもって、目の前で私を見ている。
また、その誰かの存在感を感じたのです。

これは断れない、断ってはいけない、という感じが心に伝わってきて、
宣教師に導かれるまま、いわゆる4つの法則という小冊子に書かれている、受け入れの祈りをしました。

翌日は日曜日だったので、
信じた次の日からいきなり教会に行きました。

しばらくそこに通いましたが、
家から遠かったので、別の教会を紹介してもらいそこに通いました。
どちらも福音派の教会でした。

間もなく牧師からCSの教師の奉仕を頼まれ、
やることにしたのですが、肉の努力でがんばってしまい、
奉仕がいやになりました。霊的に疲れてしまったのです。
まだクリスチャンとして若く、主に頼って奉仕をすることを知りませんでした。

ある日曜日、
どうしてもCSの奉仕がいやで、礼拝をさぼりました。
そして自分はイエスさまに従えない人間なんだという自己嫌悪にさいなまれました。
主に従えないなら、人生に希望はないから、いっそ死んでしまおうと思いました。

ところが、
さぼっている日々も、凄まじい霊的な飢え渇きがあり、
リビングバイブルの旧約聖書をむさぼり読みました。
あんなに旧約聖書を一度に読んだのは、その時が最初で最後です。

何週間かすると、キャンパスクルセードのスタッフのカウンセリングにより、
神さまのもとに帰ることができましたが、
同じ教会には行くことはどうしてもできず、
同じグループの、別の教会に通うことになりました。

ところが、そこに通っている間に、
自分の伝道には力がない、誰一人救われない、
使徒の働きのような神の力の現れがないという、とてつもないむなしさと、
聖霊の力・賜物に対する凄まじい飢え渇きが起こり、
使徒の働きを何度も繰り返しむさぼり読む日々がやって来ました。

そんなある日、
教会の友達の一人が、カリスマ派の単立教会を紹介してくれました。

そこに行ってみると、
そこの人たちは、聖書に書かれている異言で祈っていました。
また日本にリバイバルが来ることを信じていました。
そして神の御心を求めて、示されたことに従うというスタイルをとっていました。
神が語らないなら伝道すらしない、という徹底的な聞き従いの姿勢を貫いていました。

私はこの教会にほれ込んでしまい、そこに転会しました。
福音派に2年間、このカリスマ派の教会に22年間いました。

しかし2007年の初めに、
主から「新しい皮袋を探しなさい」と語れました。
(皮袋とは、この場合、教会の構造を指します。)
わかりやすく言うと、既存の組織的な構造の教会ではなく、
新しいスタイルの教会を探しなさいということです。

そのカリスマ派の教会は、流派主義的な傾向があり、
自分たちと違う歩み方や教義を持ったクリスチャンや教会は受け入れない傾向がありました。そのためか、主は、その教会を去るようにと語られました。

07年の3月末、私はその教会を去りました。
その後、英語の信仰書をアメリカから取り寄せて、それで学ぶ期間がしばらく続きます。
その中で、ハウスチャーチと呼ばれる1世紀スタイルの教会があることを知り、それについてむさぼり学ぶことになりました。

そうしている間に、
日本でハウスチャーチを開拓・監督しているアメリカ人宣教師との出会いが与えられました。
そしてその人は、単にハウスチャーチについて教えてくれるだけでなく、
私を愛し、霊的な父親のような存在になってくれたのです。

それ以降、ハウスチャーチへの思いが益々強くなり、現在に至っています。