使徒や預言者を教会のリーダーにすべきか? その2
その1の記事では、エペソ2:20でパウロが教会と言っているのが、公同の教会/普遍的教会と呼ばれている教会のことであることを検証しました。この記事では以下の疑問を考えます。
●疑問2
エペソ3:4~6
4 それを読めば、私がキリストの奥義をどう理解しているかがよくわかるはずです。
5 この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人々に知らされていませんでした。
6 その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。
5 この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人々に知らされていませんでした。
6 その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。
●検証2
エペソ2章のテーマが公同の教会のことである以上、2:20の使徒と預言者が現代において使徒とか預言者と呼ばれている人たちではないことは明らかである。2:20の「使徒と預言者」は公同の教会の土台になった人たちなので、今はもう生きているはずがない。つまり初代教会時代の使徒や預言者のことである。そのことは、エペソ3章の初めほうまで読み進めば更にはっきりする。
3章に入ると、パウロは「奥義」という言葉を連発している。この「奥義」とは4節を見るとわかるとおり、「キリストの奥義」である。キリストの奥義の内容は、6節で説明されており、キリストを信じることにより、異邦人クリスチャンも「一つのからだ」(公同の教会)に加えられること、である。
5節を見るとわかるとおり、パウロが言っている「使徒」「預言者」とは、「キリストの奥義」と呼ばれている「啓示」を受けた人たちのこと。「前の時代」(旧約時代)には、異邦人が救われることは啓示されていなかったが、「今」は「使徒」や「預言者」に啓示されている、とパウロは述べている。
この「今」とは、パウロが生きていた時代、つまり初代教会時代のことである。従ってエペソ2章および3章の「使徒」や「預言者」とは、初代教会時代の使徒と預言者である。現代においてはキリストの奥義はすでに成就しているし、内容については聖書を読めば誰にでもわかるので、新たに啓示されることはない。なので現代において「使徒」とか「預言者」と呼ばれている人たち、そう名乗っている人たちは、2:20の「使徒と預言者」ではない。
●結論2