ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

使徒や預言者を教会のリーダーにすべきか? その3

 その2の記事では、エペソ2:20の「使徒預言者」は初代教会時代の使徒預言者のことであって、現代の使徒預言者のことではないことを検証しました。この記事では、以下の疑問の答えを出します。
 
●疑問3
 エペソ220の「使徒預言者の土台の上に建てられる」とは、使徒預言者のリーダーシップに従うことなのか?
 
エペソ220
あなたがたは使徒預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です
 
エペソ36
その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なりともに約束にあずかる者となるということです。
 
●検証3
 エペソ3章に書かれているとおり、「キリストの奥義」という啓示がキリストから発せられ、初代教会の使徒預言者たちに示された。そして彼らがその真理を語り、それを信じたイスラエル人や異邦人たちが公同の教会となった。
 
 つまり初代教会時代の使徒預言者の働きは、建築に喩えれば土台に当たる重要な役割であったということである。
 
 現代の場合、「キリストの奥義」はすでに聖書の一部となっており、私たちはそれを聞いたり読んだりしてそれを信じるに至り、公同の教会につらなったのである。
  
●結論3
 エペソ220使徒預言者の土台の上に建てられる」とは、初代教会時代の使徒預言者の働きが、建築に喩えれば土台に当たる重要な役割であったという意味であって、使徒預言者を地域教会のリーダーにすべきという意味ではない。
 
●まとめ
 カリスマ・ペンテコステ派では、しばしば使徒預言者を地域教会の指導者にすべきという教えを説く。その根拠としてエペソ220を挙げるが、彼らはこの聖句の意味を大きく誤解している。
 
 この箇所の意味は、「公同の教会は初代教会時代の使徒預言者を通して語られた真理に基づいて生まれたもので、初代の使徒と預言は建築における土台のような役割を果たした。そしてキリストがその真理の源泉であり、公同の教会の信仰の対象である」という意味である。

 私たちは誤った教えを鵜呑みにして無関係な人たちを地域教会の指導者にしたり、神が導いてもいない人たちの”霊的権威”とやらに振り回されることがないよう、注意すべきである。

おわり