ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

第一に使徒、次に預言者?? その1

 前回まで、使徒預言者を教会のリーダーにすべきか、について論じてきました。その3で終わりにしようと思っていましたが、もう一箇所、その見解の根拠になっている聖句があるのを思い出したので、この記事ではそれを付け加えたいと思います。
 
第一コリント12:28
そして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行なう者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などです。
 
●疑問
 カリスマ・ペンテコステ派特に「後の雨」ムーブメントの流れを汲む人たちは、第一コリント12:28を根拠にして、使徒は地域教会内、あるいはキリストの体の中で一番権威があり、二番目が預言者だと教えています。これは本当でしょうか。この記事ではこの見解について考えます。
 
神の国の人間関係
 イエスの言葉から、神の国において階級制度があってよいものかどうかを考えましょう。
 
マタイ20:25~26
あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない(新共同訳)
 
 上記のイエスの言葉を見ると、人を支配する目的で権威を振ってはならない、とはっきり述べられています。
 
 ここでの「異邦人の間」は、不信者の社会と解釈していいと思います。この世の社会では、役人や企業の上司など、特定のポジションに就いている人に固定的な権威が与えられていて、それを行使して人々を統率します。状況によっては支配目的で行使します。
 
 しかし神の国では、「そうであってはならない」のです。地域教会のリーダーは使徒も含めて、「模範」を示すことによって人々を指導するよう聖書は教えています(第一ペテロ5:3、第二テサロニケ3:9)。権威の乱用による人々の支配は、教会のカルト化のもとです。
 
マタイ23:6~10
6 また、宴会の上座や会堂での上座が大好きで、
7 広場であいさつされたり、人から先生と呼ばれたりすることが好きです。
8 しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなたがたはみな兄弟だからです
9 あなたがたは地上のだれかを、われらのと呼んではいけません。あなたがたの父はただひとり、すなわち天にいます父だけだからです。
10 また、師と呼ばれてはいけません。あなたがたのはただひとり、キリストだからです。
 
 マタイ23のほうを見ると、この世には「上座」「先生」「父」「師」などの表現で象徴される社会的階級があるが、神の国では「みな兄弟」だとイエスは教えている。「みな兄弟」という表現が意味するところは、神の国の人間関係は平等であるということです。
 
 ただしこれらの教えは、パウロが書簡で述べている霊的な権威を否定するものではありません。信者を成長させたり、教会内の問題を解決するために働く神の権威はあるのです。むしろ権威がなければ神の御心を遂行できません。これは権威の性質の問題です。教会内で働く権威のポイントは、その性質にあるのです。
 
 特定の人に固定的権威を与えることは聖書的ではありません。権威は、個人の意向を通すためではなく、主にある役割や使命を遂行するために用いるべきものだからです。
 
つづく