ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

トロント・リバイバルに関する警告文 その4

 
 その3では、聖書から逸脱した様々な教えが取り上げられました。この記事では、カリスマ・ペンテコステ派にありがちな、サタン・悪霊の強さを過度に恐れさせる誤りについて述べられています。


「終わりの時のリバイバル」  
 
 この声明は、2000811日にアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の総会により採択されたものです。




5.サタンや悪霊への過度の固執
 
 「あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです」(第一ヨハネ44)。悪魔は存在します。そして神の永遠の計画に敵対する機会がなくなる見通しがついているため、必死になって働いています。しかし昔に比べて、悪魔の力が強まったわけではありません。神は変わることなく支配をしておられるのですから、私たちはむしろ神の全能性を強調すべきです。圧迫、妨害、破壊などの邪悪な働きや、自ら進んでサタンの小道具で遊んだり、サタンの支配に身をゆだねる人たちにとり憑く行為を強調すべきではありません。サタンは神の子どもを誘惑したり、圧迫することはできますが、とり憑くことは決してできません。信者が悪霊憑きになることはあり得ないのです。
 
 霊の戦いや悪霊追い出しは、わくわくするような行為です。同時に、注目を集めます。またそこには、真理の要素が含まれています。悪霊憑きという現象は存在するからです。しかし間違っているものすべてに悪霊が憑いているわけではなく、取り扱わねばならないのは特別な事例だけです。そして神はその知恵によって、その特別な必要のために手段を備えてくださっています。都市には暗闇の君が配属されているかもしれませんが、すべての都市や地理的な領域が悪霊によって支配されているという聖書的根拠はありません。聖霊は、御霊に満たされた信者に知識の言葉を与えて、悪霊が誰かを支配していて解放が必要だと教えるかもしれません。奇妙な行動が伴う場合、御霊は、御霊に満たされた信者に対して、その奇妙な行動の原因を識別させます。しかしすべての病や怪我、先天的な奇形、否定的な性格などが、悪霊によるものだと結論づけることは、誤った聖書解釈です。罪はこの世界に禍根を残しましたが、私たちが目を向けるすべての場所において、悪霊の名を挙げて追い出しをしなければならないわけではありません。
 
 私たちは霊の戦いの中に置かれています。「敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています」(第一ペテロ58)。しかしこのメッセージが語られた目的は、信者を恐れさせて、日常生活を悪魔との大格闘という極端に走らせるためではありません。すべてのクリスチャンは、霊的戦いのためのすべての武具を身に着けているはずですから、それを身に着けている限り、私たちは悪魔の策略に立ち向かえると約束されているのです(エペソ61117)。キリストの血潮によって救われ、武具を身にまとっているのですから、私たちは福音を携えて世に出て行くという任務に意識を集中させれることができるのです。その道すがら、激しい接近戦に出くわすかもしれませんが、私たちの先を進んでくださるお方は、すでに勝利しておられるのです。
 

つづく

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