ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

セレブレーション・オブ・ラブについて その2


 コメントにお答えします。 
 
 すでに述べたことと同じことを言うようですが、ルカ156、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』とあります。ひとりの失われていたたましいが神のもとに立ち返ったのなら、私たちは喜ぶべきなのです。
 
 要するに、私は、聖書が喜べと言っていることについて、そうすべきだと言っているだけです。
 
 批判しかしないみなさんは、この神の願いと喜びについてどう考えているのでしょうか。こう書かれているのに、喜ばずに批判しかしないなら、ルカ15章を無視することなるし、神やイエスの気持ちを無視して、ただ問題の話をするだけになってしまいます。
 
 私たちは放蕩息子の帰還を今や遅しと待ちわびる父なる神の子どもであるわけですから、親子関係にある者としてともに喜ぶのが当然ではないでしょうか。私から見れば、否定的なことしか言わないみなさんは、問題にばかり意識が奪われて、これだけはっきり語られている神の声が聞こえていないように見えます。
 
 そして問題は問題として、取り組んでいけばいいのであって、問題があるから、神が喜んでいようがいまいが、批判しかしないというのはどう考えてもアンバランスです。
 
 また私は渡辺さんやパスタ―リエを批判していますが、彼らを通してなされる神の働きを極力否定することがないように努めています。聖書と照らし合わせて、はっきりおかしいところだけを批判しているのです。つまり、この点においても、神の働きと問題点とを分けて考えているということです。もともと私のスタンスは、御霊の火は消さず、問題点だけを識別して検証するというものですから、矛盾はありません。
 
 しかし今大会を批判しかしないみなさんのスタンスは違います。批判だけして、神の働きの部分まで否定あるいは無視しています。これは聖書と照らし合わせて、明らかに食い違っています。
 
 
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