ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

フランクリン・グラハムについて その1

 
 まずはアメリ同時多発テロ直後の、CNNによるフランクリン・グラハムへのインタビュー全文を、順を追って見ていきましょう。日本語のウィキペディアでは割愛されてしまっている分部があるからです。平等な立場で判断する上で、必要だと思います。
 
 
引用サイト:CNNによるフランクリン・グラハムへのインタビュー
 
 
合衆国の指導者ら、ワシントンでの祈祷礼拝に集う
2001914日 放送分
 
以下の文書は走り書の写しです。それゆえ最終原稿はこの通りではないかもしれません。
 
(中略)
 
CNNリポーターのジュディ(以後はリポーター):ワシントン大聖堂の外で、フランクリン・グラハム牧師にインタビュー
 
グラハム牧師、いま酷い悲しみの中で、希望を持つ意義や根拠を探し求めているアメリカ国民に何をおっしゃりたいですか。
 
グラハム牧師(以後はグラハム)
ジュディ、私たちは希望と信頼を神に置くべきです。過去20年から30年の間、この国は富や収益、株式などを頼りにしてきました。私たちは全能なる米ドルに信頼してきたのです。ですが私の祈りと願いは、今、アメリカが神を頼りにし、神を求めることです。
 
神は愛の神です。慰めの神です。神は私たちの苦しみをご存知です。御子イエス・キリストを与えてくださり、2000年前に十字架で私たちの罪を取り除いてくださいました。神は私たちの苦しみと痛みをご存知です。ですから私たちは、今こそ国家として神に寄り頼みましょう。
 
リポーター
グラハム先生、いま多くの人が、なぜ、どうして5000人余りの人がこのことによって死ななければならなかったのかと問うていますが。
 
グラハム
それは謎です。私はこの不公平の謎、この悪の謎を完全に解き明かせる人はひとりもいないと思います。しかし私たちにわかることは、人が神に罪を犯したとき、悪がこの世界に入ったということです。(このことも)その悪の結果です。私たちはサタンが存在することを知っています。悪魔がいるのです。聖書ははっきりとそう教えています。悪魔はできる限りのことをして、神と天の軍勢に戦いを挑んでいます。
 
私たちは落胆してはいけません。落胆してはいけないのです。悪によって、苦々しい思いにさせらるのは御免です。怒りを持たされるのは御免です。心を冷たくかたくなにされるのも御免です。アメリカ国民がそうならないことを願っています。私たちは自衛する必要があります。テロリストと戦う必要があると思いますが、みなさんに苦々しい思いを持ったり、心をかたくなにしてほしくありません。このことを忘れないでください。私たちは全能なる神に信仰と信頼を置く必要がある、ということです。
                                 (つづく)
 
国家的自己防衛
 
 グラハムは上記の部分で、「自衛の必要」を述べています。このインタビューの文脈上、これは国家的な自己防衛についての言及ですので、国家的自己防衛に適用できそうな聖書箇所を引用してみました。
 
ネヘミヤ47
7  ところが、サヌバラテ、トビヤ、アラブ人、アモン人、アシュドデ人たちは、エルサレムの城壁の修復がはかどり、割れ目もふさがり始めたことを聞いたとき、非常に怒り、
8 彼らはみな共にエルサレムに攻め入り、混乱を起こそうと陰謀を企てた。
9 しかし私たちは、私たちの神に祈り、彼らに備えて日夜見張りを置いた。
10 そのとき、ユダの人々は言った。「荷をになう者の力は衰えているのに、ちりあくたは山をなしている。私たちは城壁を築くことはできない。
11 一方、私たちの敵は言った。「彼らの知らないうちに、また見ないうちに、彼らの真中にはいり込んで、彼らを殺し、その工事をやめさせよう。
12 そこで、彼らの近くに住んでいたユダヤ人たちがやって来て、四方から十回も私たちに言った。「私たちのところに戻って来てほしい。
13 そこで私は、民をその家族ごとに、城壁のうしろの低い所の、空地に、剣や槍や弓を持たせて配置した
14 私は彼らが恐れているのを見て立ち上がり、おもだった人々や、代表者たち、およびその他の人々に言った。「彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え、自分たちの兄弟、息子、娘、妻、また家のために戦いなさい
 
 
 この箇所では、ネヘミヤたちがエルサレムの再建をしています。しかし11節では、敵がネヘミヤたちを「殺し、その工事をやめさせよう」としています。この状況でネヘミヤは、武器を持って自己防衛する指示を出しています。特にその理由として、「自分たちの兄弟、息子、娘、妻、また家のために戦いなさい」と述べています。
 
 
創世記14917
9 エラムの王ケドルラオメル、ゴイムの王ティデアル、シヌアルの王アムラフェル、エラサルの王アルヨク、この四人の王と、先の五人の王とである。 
10 シディムの谷には多くの瀝青の穴が散在していたので、ソドムの王とゴモラの王は逃げたとき、その穴に落ち込み、残りの者たちは山のほうに逃げた。
11 そこで、彼らはソドムとゴモラの全財産と食糧全部を奪って行った。
12 彼らはまた、アブラムのおいのロトとその財産をも奪い去った。ロトはソドムに住んでいた。
13 ひとりの逃亡者が、へブル人アブラムのところに来て、そのことを告げた。アブラムはエモリ人マムレの樫の木のところに住んでいた。マムレはエシュコルとアネルの兄弟で、彼らはアブラムと盟約を結んでいた。
14 アブラムは自分の親類の者がとりこになったことを聞き、彼の家で生まれたしもべども三百十八人を召集して、ダンまで追跡した。 
15 夜になって、彼と奴隷たちは、彼らに向かって展開し、彼らを打ち破り、ダマスコの北にあるホバまで彼らを追跡した。
16 そして、彼はすべての財産を取り戻し、また親類の者ロトとその財産、それにまた、女たちや人々をも取り戻した。 
17 こうして、アブラムがケドルラオメルと、彼といっしょにいた王たちとを打ち破って帰って後、ソドムの王は、王の谷と言われるシャベの谷まで、彼を迎えに出て来た。 
 
 
 この箇所では、異邦人の王たちがアブラムの家族や財産を奪い、逃亡しました。その中には甥のロトも含まれていました。アブラムは彼らを追跡し、打ち破り、奪われた家族や財産を取り戻しています。
 
 
ローマ1314
1 人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。
2 したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。
3 支配者を恐ろしいと思うのは、良い行ないをするときではなく、悪を行なうときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行ないなさい。そうすれば、支配者からほめられます
4 それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行なうなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行なう人には怒りをもって報います。
 

参考文献:The Epistle To The Romans by D. Moo
 
 上記は、社会的権威の役割について述べている箇所です。
 
12節で、社会的権威は神の権威を帯びていると述べられています。

4節では、社会的権威が剣を帯びているのは、悪を罰するためであると述べられています。
 
 参考文献の著者ムーは、「彼(神)は彼ら(支配者たち)に社会秩序の維持という重要な役割を委ねている」と解説しています(P800)。
 
 また「悪」が指す意味として、「神ご自身が悪としてとがめる行為」としています(P802)。
 
 
現代社会への適用
 
 これらの聖書箇所を総合的に考えれば、聖書は社会的権威が武器を使用して自己防衛することを認めている、と言えるのではないでしょうか。
 
 現代社会では、テロリストを初めとして、「悪」を行う者たちの多くは、凶悪な武器を持っています。そのような者たちを相手にして社会秩序を維持するには、武器による戦闘はやむを得ないと思いますが、みなさんはいかがでしょうか。
 
つづく
 
 
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