イスラム教テロ集団の起源と信条 その2
前記事の続きです。
引用元:「聖書に基づく政治」 ウエイン・グルーデム(P402~P403)
確かにアメリカは、アフガニスタンからソ連を追い出すためにビンラディンと従者たちを支援したが、その後ビンラディンはイスラム教過激派に傾倒し、アメリカに反旗を翻した。それについてローレンス・ライトは、次のように述べている。
ビンラディンたちがアフガニスタンで連合していたアメリカに背を向けた理由の大きな部分は、彼らがアメリカをキリスト教の中心地と見なしたためだ。(中略)彼らはキリスト教を単なるライバルではなく、最大の敵と見なしていた。彼らにとって十字軍との戦いは過去のものではなく、イスラムが勝利するまでやむことのない現在進行中の戦いなのである。
イスラム過激派はシャリア(生活全般にわたるイスラム法)に立ち返ることにより、欧米化と一線を画している。アメリカが普遍的に望ましい価値観として広めていきた民主主義や透明性、法による統制、人権、政教分離などは、ジハードの視点では不信感をかった。なぜなら欧米的なものは、現代的なものだからである。
ライトによれば、アフガニスタンでビンラディンと協力関係にあったザワーヒリーは、タクフィールと呼ばれるイスラム教の極端な解釈に傾倒した。タクフィールとは、真のイスラム信仰を捨てたと見なされる者たちに適用されるもので、破門を意味する。タクフィールは極端な概念であるとともに、エジプトのサダト大統領の暗殺を引き起こした影響力のある概念でもある。
コーランは、殺人罪に対する罰以外で人を殺してはならないと教えている。しかしサイイド・クトゥブは、指導者が国家にシャリアを施行しないなら、その指導者は背教者だと宣言した。預言者による教えでは、イスラム教徒の血が流されるのは殺人罪への罰か、夫婦関係における不貞への罰か、イスラム教の背教への罰のいずれかである。サダト大統領は敬虔なイスラム教徒であったにもかかわらず、タクフィールの最初の犠牲者となったのだ。
過激派にとって民主主義は、神のものである権威を人の手に委ねることになるため、反イスラムと解釈される。それゆえ選挙で投票した者は、みな背教者と見なされる。それで過激派は、自分たちの邪魔をする者は誰でも殺してよいと信じているのだ。実際、彼らはそうすることが信仰的な義務だと見なしている。(中略)
女性が仕事をしたり学校で学ぶことは禁じられた。健康維持の仕組みや政府の活動は破壊され、初等教育は除り去かれていた。タリバンは凧揚げやドッグレースを禁じた。また「汚れたもの」は禁じらていた。その中には、パラボラアンテナ、映画、音楽を楽しむすべての機材、ビリヤード、チェス、アルコール、コンピューター、ビデオカメラ、テレビ、爪磨き、編み物の目録、写真、クリスマスカードなどが含まれた。男性のヒゲは握りこぶしよりも長くなければならない。違反者は投獄された。もし女性がベールをつけずに外出した場合、その女性の家にはしるしがつけられ、夫は罰せられる。
聖書の観点からすると、このような概念に対する私の応答は次のとおりである。イスラム教武装勢力は、しばしばアメリカをサタン呼ばわりしているが、自分たちと異なる見解の者を殺すことを正当化するムーブメントこそサタンによって動機づけされていることは明らかである。
イエスは「悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません」(ヨハネ8:44)と言っている。見解を異にするすべての者を殺害することが正しいと信じるムーブメントは、神ではなく悪魔による動機に根差しており、神とその真理に敵対しているのだ。
厳格なシャリアによる支配は人間の自由を奪っており、実質的に人を非人間化し、イスラム教指導者の奴隷にしている。これはサタンの働きであり、神の働きではない。イエスは「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです」と言われた(ヨハネ10:10)。
また「捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし」とも言われた(ルカ4:18)。
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