イスラム教テロ集団の起源と信条 その1
グルーデムがイスラム教過激派のルーツについて述べているので、それを翻訳抜粋します。(聖書とは直接関係ありません)
引用元:「聖書に基づく政治」 ウエイン・グルーデム(P401~P402)
近年もっともよく読まれており、かつ権威あるイスラム教テロ史といえば、ローレンス・ライトによる『倒壊する巨塔 -アルカイダと「9.11」への道-』である。ライトによれば、世界中のイスラム教徒のほとんどは聖戦主義の信条を持っていないという。こんにちのテロリストたちが信奉している見解は、ここ数世紀間、イスラム教内の少数派に過ぎないとライトは指摘する。
最初に聖戦主義を復興させたのは、アブドゥル・ワハブ(1703~92年)というイスラム教の教師である。ワハブは、1744年にムハンマド・ビン・サウードの傘下に入った。サウードとは、第一次サウード王国の創立者である。
ワハブは、自分の教えに従わない者は殺してもいいし、レイプしたり強奪してもよいと弟子たちに教えた。また宗教と政治の間にはいかなる違いもないと教えた。(中略)
アメリカ留学からエジプトに帰国したクトゥブは、ナセル大統領が率いるエジプト政府がイスラム法の執行に不徹底であることに業を煮やしていった。クトゥブはムスリム同胞団の機関誌の編集をとおして、ナセル大統領を忌憚なく批判するようになる。
1954年にムスリム同胞団のメンバーがナセル大統領の暗殺を企てた後、クトゥブは1965年まで投獄され、獄中で「マイルストーン(道標)」を執筆。同書はカイロの刑務所から秘密裏に持ち出され、1964年に出版された。
クトゥブは数ヵ月間だけ釈放されたが、政府の転覆を画策した嫌疑で再度投獄され、死刑判決を受けた。クトゥブは1966年8月29日に処刑されたが、彼の影響は今も残っている。
イスラム教テロに影響を及ぼしているもうひとりの指導者は、アイマン・ザワーヒリー(1951年~)である。ザワーヒリーはエジプトの名家出身の秀才で、医学部を卒業して外科医となった。ザワーヒリーはクトゥブの影響を受け、サダト大統領を含むエジプト政権の転覆をもくろむエジプト人グループの指導者となった。
ザワーヒリーは、1981年10月6日に起きたサダト大統領暗殺事件を計画したグループと密接な関係にあった。そのため逮捕投獄され、激しい拷問を受けた。
1982年12月4日に開始された300名の被告全員の代理人を務めたザワーヒリーは、イスラム教過激派の急進的指導者として認識されるようになる。しかし暗殺に直接加担していなかったため、1984年に釈放される。その後、サウジアラビアやアフガニスタンに赴き、ウサマ・ビンラディンと出逢う。
つづく
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