政府に逆らうことが正しいのはどのような場合か?
クリスチャンは、いかなる場合も政府のいいなりにならなければならないわけではありません。グルーデムの著書から、政府に従うべきでない場合について見ていきましょう。
引用元:「聖書に基づく政治」 ウエイン・グルーデム(P87)
ローマ13:1~2、第一ペテロ2:13~14は、クリスチャンはもちろん市民一般も、政府に従う義務があることを教えている。
しかし政府に従うことが神の命令に直接逆らうことになる場合は、政府に従う責任を問われることはない。聖書にはその原則が示されている箇所が数多く見られる。
初代教会に関する記述の中に、明確なケースがある。イエスが使徒たちに大宣教命令を預けた後(マタイ28:19~20)、サンヘドリン、すなわちユダヤ教の指導者たちは、使徒たちを逮捕して「いっさいイエスの名によって語ったり教えたりしてはならない」と命じた(使徒4:18)。
しかしペテロとヨハネは「私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません」と答えている(使徒4:20)。またペテロは、「人に従うより、神に従うべきです」と宣言した(使徒5:29)。これは政府への服従が、神に対する不服従を意味する明確なケースである。
同様のことが他の箇所にも見られる。ダニエル3:13~27ではネブカデネザル王が、シャデラク、メシャク、アベデネゴに対して、ひれ伏して金の像を拝むように命じた。しかし三人はその命令を拒み、「私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません」と答えている(ダニエル3:18)。神は三人の行為を是認したしるしとして、彼らを火の燃える炉から救い出した(19節~30節)。
また、アハシュエロス王が招いていないときに王の前に出ることは、法律で禁じられていた。しかしエステルは法を犯し、自らの命を危険に晒して、同胞であるユダヤ人を救った(エステル4:16参照)。同様にダニエルも、法律で禁じらているのに神に祈った(ダニエル6:10参照)。
またヘロデ王は、賢者たちに王のもとに戻り、生まれてきたユダヤ人の王の居場所を教えるよう命じたが、彼らは夢で語り掛けを受けてヘロデ王に逆らい、「別の道から自分の国へ帰って行った」(マタイ2:8、12参照)。
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