ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

イエスの降誕はヘロデ王の統治下か、それともクレニオの統治下か? 共観福音書

 
「聖書の現象」の記事です。
 
 キリスト教進歩主義のKFさんがツィートした「聖書の矛盾」という動画820くらいから、次のような疑問が出題されます。
 
クレニオがシリアの総督になったのは、ヘロデ王の死から9年後のことでした。だとすると、イエスが生まれたのはヘロデの統治下だったのでしょうか、それともクレニオの統治下だったのでしょうか?
 
 
ルカ2:1~2 
そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオキリニウス)がシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。
 
マタイ2:1 
エスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
 
 
 ルカが記しているクレニオ(キリニウス)については、次のような問題点があります。
 
 ウィキペディアキリニウスの国勢調査」によると、キリニウスがシリアの総督になったのは紀元6年だったとされています。
 
 これは、歴史家ヨセフォスによる「ユダヤ古代誌」(18:1~3)に基づくものです。
 
 一方、ヘロデ大王は紀元前4年に死去しており、キリニウス就任と約10年の開きがあることになります。
 
 この理由から、「ほとんどの学者が、ルカの福音書の著者が間違いを犯したと考えています。」
 
 この問題について、調べてみました。
 

解決案
 
 まずルカは、「クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録」と言っているので、
 
 クレニオ(キリニウス)による人口調査は複数回行われ、主イエスの誕生時に行われた調査はそのうちの第1回目であったことがわかります。
 
 つまり、ヨセフォスが記録した人口調査は、ルカ2:2の住民登録とは別のものだったということです。
 
 この見解は、「新聖書辞典」(いのちのことば社、P419)による以下の説明とも一致しています。
 
 
クレニオによる人口調査(おそらく使徒5:37で言及されている人口調査)は、紀元6年のものである。
 
それはユダヤがアケラオの廃位によってローマの属州となったことを契機に、クレニオが実施したもので、「全世界の住民登録」(ルカ2:1)と言うにはほど遠いものであった。
 
したがって、ルカに記された登録は、ヨセフォスが記していない別の登録ということになる。
                              (強調はブログ主)
 
 さらに「グリーソン・アーチャー聖書難解事典」(P372~P373)によると、ピシデヤ地方の高原で起きていた反乱を組織的に鎮圧するため、
 
 BC12年からBC2年まで、キリニウスがローマ軍の軍事顧問としてシリアに赴任していたことが知られています(Tenney, Zondervan Pictorial Encyclopedia, 5:6)。
 
 
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 ルカ2:2にクレニオが「シリヤの総督であったとき」とありますが、「総督」と訳されているのは、ヘゲモネウオーという言葉で、「地方総督になる」の他にも、単に「指導者になる」という意味もあります。
 
 ヘゲモネウオーの名詞であるヘゲモーンは、「指導者、案内人、司令官、統治者(総督)」を意味します。
 
 ですから「シリヤの総督」というのは、シリア地方の軍事顧問のことを指している可能性があります。
 

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 また、ブリタニカ百科辞典「国勢調査」の歴史欄には、「ローマ人は国民の納税額を決めるために、5年毎に国民(の人数)とその財産を数えていた」とあります。  

 加えて、聖書辞典によれば、当時、ユダヤは「シリア地方の一部」でした。
 
 以上のことを考慮すると、BC12年からヘロデが病死するまでのBC4年の間に、すなわち、クレニオがシリアの軍事顧問をしていた期間に、
 
 ユダヤにおいて「最初の住民登録」が行われた可能性は十分に考えられます。
 
 そういうわけで、今回の疑問も聖書の矛盾にはなりません。
 

 終わり