ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

「カエサルのものはカエサルに」 イエスの政教分離論


 
 ウエイン・グルーデム著「聖書に基づいた政治」から、政教分離の原則について抜粋します(P24P25P99P100
 
 
それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」  
                               マタイ22:21
 
 マタイ22章でユダヤ人たちは、イエスを罠にかけようとして尋ねた。「税金をカイザルに納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか」(マタイ22:17)。
 
 ここでローマ政府への納税を肯定すれば、ローマ帝国を憎んでいたユダヤ人たちの反感を買うことになる。納税を否定すれば、ローマの権力に逆らう危険な革命家ということになる。この状況でイエスは、驚きの回答を提示する。
 

「これは、だれの肖像ですか。だれの銘ですか。」

彼らは、「カイザルのです。」と言った。そこで、イエスは言われた。

それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」  
                               マタイ22:20~21
 

 この見事な答えの中でイエスは、社会には異なる二つの領域があることを教えている。ひとつは政府であり、もうひとつは宗教である。
 
 たとえば納税(カイザルのものはカイザルに返しなさい)は、政府の領域に属する行為である。教会はこの領域に関する事柄を統治すべきではない。一方、宗教に関すること(神のもの)について、政府は統治すべきではない。
 
 
 イエスは、ルカの福音書の中でも政教分離に触れている。
 
群衆の中のひとりが、「先生。私と遺産を分けるように私の兄弟に話してください。」と言った。すると彼に言われた。「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停者に任命したのですか。」(ルカ12:13~14)
 
 このやり取りの中でイエスは、「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停者に任命したのですか」と言って、政府の事柄に参与することを拒否している。
 

 教会が国家の統治に参与べきでないのであれば、中世において多くの教皇が、王や皇帝に対して権威をふるったことは間違いだったと言える。
                             (引用終わり)
 
 
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