なぜイエスは変貌したのか?
それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。そして彼らの目の前で御姿が変わった。その御衣は、非常に白く光り、世のさらし屋では、とてもできないほどの白さであった。また、エリヤが、モーセとともに現われ、彼らはイエスと語り合っていた。マルコ9:2~4
変貌は、イエスの神性を示すという点で重要な意義があった。この出来事をペテロやヤコブ、ヨハネに見せ、のちの日に証させる意図があったことは明白である(マタイ17:9、第二ペテロ1:16~18、ヨハネ1:14)。
私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。第二ペテロ1:16
ルカ9:29に、「祈っておられると、御顔の様子が変わり、御衣は白く光り輝いた」とある。これは将来に起きることの前味を示すものであった。
普段は封印されていた神としての栄光を現したのは、主が戻ってくるときに現される栄光を、地上において垣間見させるためであった。またそれは、将来、私たちクリスチャンの復活の際に起こる変化の予表でもあった。
私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。ピリピ3:20~21
これは単にこの世界から立ち去る方法を述べていたのではなく、出エジプトをとおしてイスラエルの民が贖われたのと同じように、イエスの「旅立ち」(エクソドス)が、主の民を罪の奴隷から贖う方法であったことを示唆している。
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J・I・パッカー「コンサイス・セオロジー」P123~P124より