ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

なぜイエスは変貌したのか?


それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。そして彼らの目の前で御姿が変わった。その御衣は、非常に白く光り、世のさらし屋では、とてもできないほどの白さであった。また、エリヤが、モーセとともに現われ、彼らはイエスと語り合っていたマルコ9:2~4
 
 
 イエスの変貌は、3つの福音書に記録されている(マタイ17:1~8、マルコ9:2~8、ルカ9:28~36)。
 
 変貌は、エスの神性を示すという点で重要な意義があった。この出来事をペテロやヤコブヨハネに見せ、のちの日に証させる意図があったことは明白である(マタイ17:9、第二ペテロ1:16~18、ヨハネ1:14)。

 
私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです第二ペテロ1:16
 
 
 ルカ9:29に、「祈っておられると、御顔の様子が変わり、御衣は白く光り輝いた」とある。これは将来に起きることの前味を示すものであった。
 
 普段は封印されていた神としての栄光を現したのは、主が戻ってくるときに現される栄光を、地上において垣間見させるためであった。またそれは、将来、私たちクリスチャンの復活の際に起こる変化の予表でもあった。

 
私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのですピリピ32021
 
 
 ルカ929の「御顔の様子が変わり、御衣は白く光り輝いた」という現象は、へブル1:3に「御子は神の栄光の輝き」とあるとおり、神の御子であるエスに内在していた栄光が表に現れたものである。
 
 
エスが間もなくエルサレムで成就することになるその旅発ちについて話していたルカ931岩波翻訳委員会訳
 
 この聖句で「旅立ち」(新改訳は「最期」)と訳されている言葉は、エクソドス(出エジプトの意)というギリシャ語で、イエスの死と復活また昇天を意味していた。
 
 これは単にこの世界から立ち去る方法を述べていたのではなく、出エジプトをとおしてイスラエルの民が贖われたのと同じように、エスの「旅立ち」(エクソドス)が、主の民を罪の奴隷から贖う方法であったことを示唆している。
 
 
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JI・パッカー「コンサイス・セオロジーP123P124より