ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

パウロの神学 その3

 
 「ムーディー神学ハンドブック」から、パウロのキリスト観をお届けします。
 

キリスト観
 
 人性 パウロはキリストの神性を強調する一方で、キリストの人性も強調している。
 

神は・・・この方を、女から生まれた者・・・となさいました。ガラテヤ4:4

 この聖句でパウロは、キリストが女から生まれたと述べている。キリストは霊体ではなく、地上の母親から授かった人性を持っていたということだ。人間としては、ダビデの子孫だった(ローマ13、第二テモテ28)。


神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。第二コリント521
 
 キリストは罪をまったく犯さなかった。「罪を知らない方」という表現は、キリストが罪を体験したことがなかったことを示す。これはキリストに「罪の性質」がなかったからである。


神はご自分の御子を・・・罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、ローマ8:3
 
 キリストは「罪深い肉と同じような形」で来臨された。つまり人間として来臨されたのであるが、罪の性質は持っていなかった。

 
 神性 パウロ書簡には、キリストの神性に関する神学的完成形が見られる。キリストをとおして万物が創造されたということは、キリストという枠内で万物が創造されたことを示している。被造物を造り、宇宙を統治している法則や目的のすべてが、キリストのうちに宿っているのだ。
 

第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。第一コリント15:47

 キリストが「天から出た者」であることを強調することにり、キリストが受肉する以前から、永遠に存在していたことをパウロは教えている。
 
 
キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っていますコロサイ2:9
 
 パウロは、満ち満ちた神性がキリストに宿っていると述べている。この聖句で「神」と訳されているギリシャ語セオテスを使うことにより、パウロは神の本生と実質を強調している。キリストは、昔も今も、疑う余地のない完全なる神だということである。
 
 興味深い点は、神性が「形をとって」宿っていると述べられていることだ。「形をとって」という表現(英語聖句ではbodily form/肉体の形)は、イエスが完全に人だったことを示している。このようにパウロは、イエスが神であると同時に人であることを強く肯定している。
 
 
キリストは、神の御姿であられる方 ピリピ2:6 
 
 キリストは神の姿で存在している。「御姿」と訳されているギリシャ語モルフェは、受け継いだ特質とか、実質的要素を示す。つまり、キリストが本質的に神として存在していることを示している。

 
大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエス テトス2:13

 ギリシャ語の文法上、「神」と「救い主」という二つの名詞は、イエス・キリストという一人の人物でなければならない。このことからも、パウロが、キリストは神であると述べていることがはっきりわかる。 
 

つづく
 
 
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