ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

万人への真実な福音提示


 
 キリストにより全人類の罪が贖われたにもかかわらず、
 
 救われる人が限られている理由をこれまで見てきました。
 
 言い方を変えると、救いに選ばれている人しか救われない理由、 
 
 そして、救いに選ばれている人の救いが保証されている根拠を確認してきました。
 
 
 今後は、多目的贖罪論に「多目的」という眼目が付けられている所以を、
 
 見ていきます。
 
 その過程の中で、神が意図していた多くの目的を果たすために、
 
 万人の罪を贖う必要があったことを学びます。
 
 

真実な福音提示の動機
 
 神が贖罪のわざに意図した多くの目的の中には、
 
 万人に対して、真実な形で福音を提示するという意図がありました。
 
 すべての人が救われることはありませんが(マタイ71314
 
 それでも神は、万人が救われて、真理を知ることを願っています(1テモテ24)。
 
 神が福音のメッセージを通して、人々を普遍的に招くのは、
 
 神が全人類を愛しているからです(ヨハネ316)。
 

 
聖書中に見られる普遍的招き
 
詩篇22:27 
地の果て果てもみな、思い起こし、主に帰って来るでしょう。また、国々の民もみな、あなたの御前で伏し拝みましょう。
 
イザヤ45:22 
地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。
 

 上記の聖句に見られるとおり、神は旧約時代から、
 
 世界中の人々が主に立ち返り、救われることを願っています。
 
 
 新約聖書においても、
 
 バプテスマのヨハネは、イエスを「世(世界)の罪を取り除く神の小羊」と呼び、
 
 イエスによる贖いが世界的であることを強調しました。
 
 イエス自身も「だれでも…飲みなさい」と呼びかけ、人々を普遍的に招きました。
 
 
だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。
                                ヨハネ7:37~38 
 
 最終的にイエス大宣教命令を語り、
 
 世界中の人を普遍的に招くよう命じました(マタイ2819)。
 
 しかし同時に、この普遍的な招きが必ずしも救いに繋がるわけではないことを、
 
 事前に予告しておられました。
 
 
マタイ22:14 
招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。
 
 

限定贖罪論との違い
 
 カルビン主義は、限定贖罪論を教えています。
 
 限定贖罪とは、キリストは、選ばれた人々の罪だけを贖ったという概念です。
 
 この教えは、根拠となる聖書箇所は少ないものの、
 
 一部の人しか救われないという事実と論理的に一致しているため、
 
 歴史を通じて支持する人が絶えませんでした(私自身がその一人です)。
 
 しかし限定贖罪論の弱点は、普遍的な福音提示を肯定する土台がないことです。
 
 一部の人の罪しか処分されていないのに、
 
 救いへの招きは普遍的だというのは理に叶っていません。
 
 
 多目的贖罪論は、
 
 神はすべての人が救われないことを知りつつも、
 
 すべての人の罪を負い、全人類のために贖罪を行なうことで、
 
 普遍的な福音提示の土台を築かれたと考えています。
 
 この点で、カルビン主義と異なっています。