パウロの神学 その1
ムーディー神学ハンドブックの抜粋です。
パウロの生涯
AD3? パウロ生誕
18~30 エルサレムでの学び
33/34 回心
34~36 アラビヤ
46 エルサレム
46~48 第一回宣教旅行 小アジアへ
48~49 エルサレム教会会議
49~52 第二回宣教旅行 小アジアとヨーロッパ
53~57 第三回宣教旅行 小アジアとヨーロッパ
58~60 カエザリヤで投獄
60~61 ローマへの旅
61~63 ローマで投獄
63~66 スペインに至る宣教
66~67 ローマでの投獄と処刑
神観
啓示 パウロは神学的水準の高いの神観を持っていた。神を主権的な存在として見ており、イエス・キリストにある恵みをとおしてご自分を啓示した神としている(ローマ1:16~17、ローマ3:21、第一コリント2:10、第二コリント12:7)。
福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。ローマ1:17
神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。第一コリント2:10
神は、不信者に対する裁きの中にご自分を啓示した(ローマ1:18、同2:5、第二テサロニケ1:7)。
というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。ローマ1:18
苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現われるときに起こります。第二テサロニケ1:7
「怒り」とは、罪に対する神の深い憤慨である。この怒りは神の聖さと義の性質のゆえに生じるものだ。神の聖さは、罪を見過ごすことができない。
しかし信者に対しては、神は栄光あふれる祝福としてご自身を表す。(ローマ8:18~19、第一コリント1:7、同3:13、同4:5、第二コリント5:10)。
今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。ローマ8:18
なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。第二コリント5:10
ローマ8:18の「栄光」という言葉は、再臨の際に表される栄光の輝きのことで、信者に対する祝福を示唆している。
また神は、旧約時代には啓示されていなかった教会に関する計画を表した(ローマ16:25、ガラテヤ3:23、エペソ3:3、5)。
しかしサタンはその啓示を、覆い隠そうとする(第二コリント4:4)。
そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。第二コリント4:4
パウロ書簡
AD48 ガラテヤ シリアのアンテオケで執筆
50 第一テサロニケ コリント
50 第二テサロニケ コリント 救済論と終末論
55 第一コリント エペソ
55 第二コリント マケドニア
57 ローマ書 コリント
62 エペソ ローマ
63 ピリピ ローマ キリスト論
62 コロサイ ローマ
62 ピレモン ローマ
63 第一テモテ マケドニア
63 テトス コリント 教会論
67 第二テモテ ローマ
つづく
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