ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

パウロの神学 その1

 
 ムーディー神学ハンドブックの抜粋です。


パウロの生涯
 
AD3? パウロ生誕
1830 エルサレムでの学び
3334 回心
3436 アラビヤ
46   エルサレム
4648 第一回宣教旅行 小アジア
4849 エルサレム教会会議
4952 第二回宣教旅行 小アジアとヨーロッパ
5357 第三回宣教旅行 小アジアとヨーロッパ
5860 カエザリヤで投獄
6061 ローマへの旅
6163 ローマで投獄
6366 スペインに至る宣教
6667 ローマでの投獄と処刑

  
神観
 
 啓示 パウロは神学的水準の高いの神観を持っていた。神を主権的な存在として見ており、イエス・キリストにある恵みをとおしてご自分を啓示した神としている(ローマ11617、ローマ321、第一コリント210、第二コリント127)。
 
福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからですローマ117
 
しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されましたローマ321
 
神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです第一コリント210
 
 
 神は、不信者に対する裁きの中にご自分を啓示した(ローマ118、同25、第二テサロニケ17)。
 
というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからですローマ118
 
苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現われるときに起こります第二テサロニケ17
 
 「怒り」とは、罪に対する神の深い憤慨である。この怒りは神の聖さと義の性質のゆえに生じるものだ。神の聖さは、罪を見過ごすことができない。
 
 しかし信者に対しては、神は栄光あふれる祝福としてご自身を表す。(ローマ81819、第一コリント17、同313、同45、第二コリント510)。
 
今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えますローマ818
 
なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです第二コリント510
 
 ローマ818の「栄光」という言葉は、再臨の際に表される栄光の輝きのことで、信者に対する祝福を示唆している。
 
 また神は、旧約時代には啓示されていなかった教会に関する計画を表した(ローマ1625、ガラテヤ323、エペソ335)。
 
私の福音とイエス・キリストの宣教によって、すなわち、世々にわたって長い間隠されていたが、今や現わされて・・・ローマ1625
 
 しかしサタンはその啓示を、覆い隠そうとする(第二コリント44)。
 
そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです第二コリント44


 
パウロ書簡
 
AD48 ガラテヤ      シリアのアンテオケで執筆
50  第一テサロニケ  コリント           
50  第二テサロニケ  コリント           救済論と終末論
55  第一コリント   エペソ         
55  第二コリント   マケドニア
57  ローマ書     コリント
 
62  エペソ      ローマ
63  ピリピ      ローマ            キリスト論   
62  コロサイ     ローマ
62  ピレモン     ローマ
 
63  第一テモテ    マケドニア
63  テトス      コリント           教会論
67  第二テモテ    ローマ  


つづく
 
 
 ↓応援ありがとうございます↓       ↓ご支援を感謝します